今年はその時を車の中で迎えた。アイスコーヒー片手に音楽を聴きながら運転する、ごくごく普通の日常。暖かな日差しも心地よかった。この当たり前がどれだけ尊くありがたいことなのか、何事もなく通り過ぎた時間が教えてくれた気がした。

あの春と聞いて思い出すのは、ただ1つ。2011年3月11日、午後2時46分。13年前、中3だった私は地元で東日本大震災を経験した。地震が発生した時も車に乗っていた。中学の卒業式を控え、3年生は午前授業だった。学校備え付けの公衆電話で父に迎えを頼み、教室で本を読みながら時間を潰した。「何読んでるの」 「んー、内緒」。廊下から誰かに話しかけられて、こんな会話をした気がする。高校受験を終えたばかりの放課後の教室には、のびのびとした雰囲気が漂っていた。

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校門前で父の車に乗り、まっすぐ家に向かった。家の近くで信号待ちをしているとき、車が上下左右に大きく揺れた。これがマグニチュード9.0を記録した巨大地震だった。家の外に裸足の姉が立っていた。「玄関を通って出てきているのに裸足なの」 「大きく揺れてびっくりした」。地震慣れしていたからか、緊張感のない会話をしながら家に入った。

程なくして、大津波警報が発令された。大きな揺れが繰り返し続き、いつもと様子が違うと感じた。隣に住む祖父母を連れて、近所の高台に避難した。それから約30分後、高さ8.5メートルを超える大津波が町を襲った。

黒い波が防潮堤を越え、辺りのものを飲み込んでいく映像をテレビやSNSで見た人も多いだろう。私はそこにいた。翌日家の外に出ると、見たことのない光景が目の前に広がっていた。誰かの車、誰かの家、誰かの船。あるべきではない場所にいろんな物が転がっていた。そこには冷たく固まった命もあった。足元にある毛布に巻かれた死体を見て、強い不可抗力を感じた。幸い家族はみな無事で、自宅も一部損壊で済んだ。

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周りはすぐに復旧に向けて動き出していた。 一方で私は、自宅に籠り日が暮れるまで本を読んでいた。放課後の教室で読んでいた本。地面が割れ、津波が町を襲う前の平穏な世界を求めて、ひたすらに活字を追った。手のひらの中にある物語からふと目を上げたその先に、元通りの日常が広がっているのではないか。そうなってほしい。いや、そうでなければ困る……!そうやって1人、 心の中で強く願い、空想と現実を行ったり来たりする日々を過ごした。正直、当時の詳細を思い出すことができない。13年の経過のせいもあるが、15歳の私には震災が起きた現実を受け止めきれなかったのだと思う。自分の心を守るために、逃避を選んだ。

社会人になり、被災経験のある記者として毎年3月には企画を持つようになった。それがきっかけで震災と向き合うようになったが、その仕事は苦戦した。記者としての技量不足はもちろんあるが、聞き手・書き手となれるほど自身の心のケアができていなかった。記事が世に出た後も、「私が人の経験や気持ちを切り売りしていいものなのか」と葛藤が続いた。どれだけ年月が経ち今の暮らしがあろうとも、あの日の衝撃が心にある限り震災は過去のものにはならない。現在進行形で震災の中を生きている気分だ。

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毎年3月11日、午後2時46分が過ぎると、今年も乗り越えられたと安堵する。そして、震災経験者として何ができるのかを考える。1つ言えるのは、世の中で起きる物事を震災の経験を通して見ることができるということだ。

大切なものを失う悲しさ。やり場のない怒り。諦めなければならないこと、諦めてはいけないこと。経験内容は違えども、似たような状況や気持ちを想像し、それに合った行動をとる。些細なことだが、それが優しさとして誰かに伝わればいいなと思う。これから訪れる日々が、春の日のように暖かく清々しいものになりますように。