彼に同性の恋人ができていた。怒りよりも「冷め」、同時に納得もした

彼に恋人ができた。私はそれを、彼にバレないようにフォローしている彼のSNSで知った。怒りとも悲しみとも言えない、しかし確実に「苦しみ」に分類される感情が私の中に押し寄せた。
そこからプツリと私の中の糸が切れてしまったようで、自分でもびっくりするくらい、私は他人に執着することがなくなった。
彼とは高校時代に出会い、大学進学で別々の県に住むようになってからも時々遊んでいた。家族関係で苦い思い出があること、身体が弱いことなど、何かと共通点が多い私たちは互いに惹かれあっていた。
その気持ちは「友だち」以上だったけど、「恋愛」ではなくて、運命共同体とか、ソウルメイトという言葉の方がしっくりときた。実際彼と「恋人」という関係性だった時期もあった。だけど2人の間を「恋」と呼ぶには違和感があり、そのことについてよく2人で話し合っていた。
「恋人と呼ぶ関係をやめたい」と彼は言った。少し寂しさを感じたが、私もそれでいいと思った。お互い本能的に、この人とはどんな形であれ一緒にいるだろうなと思っていたし、それを言葉にして伝え合ってもいた。
「君を嫌いになったわけじゃないし、恋人という関係でいなくても僕には君以上の人はいない。だけど、今付き合うということは考えられないから、少し待っててほしい」字面だけ見るとクズ男のそれに見えてしまうが、彼が嘘をつけない不器用で誠実な人だということは長年の付き合いでわかっていたので、私はそのまま彼の言葉を受け入れた。
その後も心を病みやすい彼の言動に振り回されながらも細々と私たちの関係は続いていた。正直私は疲れていた。でも、自分と似た境遇の彼を他人事だとは思えなかったし、どこかで、「少し待っててほしい」という言葉に期待もしていた。
すっかり音信不通になってから数ヶ月。音信不通になることはよくあったのだが、どうしても彼の様子が気になってしまい、心が振り回されるからと見ないようにしていた彼のSNSを覗いてしまった。
彼には同性の恋人ができていた。恋人の言動に一喜一憂する彼の投稿を見て、彼の中に私はいないのだと悟った。せめて教えてくれたらよかったのに、とも思ったが、同時に納得もした。
私と恋人という関係を絶って、連絡も取らないようにしていたのは、私との間にある気まずさや自分の言葉の責任から逃れたかったからで、待っててほしいと言ったのはキープしておくためだったのだ。そう思わないとやっていけなかった。
怒りよりも「冷め」のほうが大きかった。今までの疲れがドッと押し寄せ悲しみよりも何よりも、他人に期待するってくだらないなという諦めが心を覆った。
それからは他人に期待するのもされるのも嫌になり、友だちだろうと家族だろうと、私は一定の距離感を意識して過ごすようになった。すると、とんでもなく心穏やかに過ごせるようになった。
冷たく聞こえるかもしれないが、これはプラスの意味である。怒ったりイライラすることが減り、他人と冷静に向き合えるから人間関係の中での判断力も増した。お互い心地よい関係でいるためにはそれぞれ必要な距離感があるのだと知った。執着からの卒業。私の成長の過程である。
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