「自分以外は他人」
少し冷たくも聞こえるこの言葉は、もうすぐ24歳になる私が、恋愛をする上で大切にしている言葉だ。
あの人にはあの人の生活があり、私には私の生活がある。
いくら恋人同士であっても、家族であっても、全てが混ざり合うことは決してない。
そう思っていれば、どんなに非情な出来事も乗り越えられるはずなのだ。

貴方は、「ある日突然、大切な人と音信不通になった」という経験はあるだろうか。
私はある。しかも、複数回だ。
デートの前日、一向に既読がつかない。
記念日当日、電話に出ない。
毎日のように「好き」「会いたい」「声が聞きたい」と言っていたのに、もう1週間も返信がない。
彼らは、いとも簡単に姿を消してしまった。

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私に弁解や、言い訳すらすることもなく、静かに、何事もなかったかのように。
振られたという事実も悲しいものだが、それよりも「彼にとって私は、きちんと別れを告げるにも値しなかった」という事実の方がよっぽど辛かった。
別れ話は、持ち掛ける方もかなりの体力を使う。
自身の言葉は確実に相手を傷つけるし、誰だって幸せに水を差すきっかけは作りたくないだろう。
でも、それでも、最後くらい、その労力を私に向けてほしかった。
「別れたい」のたった一言でいいから、言ってほしかった。

「体調が悪いのかもしれない」
「仕事が忙しいのかもしれない」
そんな、自分にとって都合の良い想像が当たっていることは稀で、大抵は他に相手ができた、もしくは元から存在していたのだろう。
分かっていても、尚、少しの希望を捨てきれない自分がいる。
彼のSNSを頻繁にチェックしてみたり、LINEをブロックされていないか確認したり、「今日中に連絡が来なければもう諦めよう」をひと月も繰り返したり。
失恋ソングを聞きながら無理やり夜を過ごし、画面に光る通知に期待して、「見れば必ず返信が来る」なんて動画まで見てしまう。
忘れたいのに忘れられず、でも忘れたくない思い出も少なからずあって、私は一人で悶々と彼のことを考え続けてしまうのだった。

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そんな恋愛を繰り返してしまったからか、私はパートナーのことを心から信用できなくなってしまった。
始まる前から終わることを想像し、いつ終わりが来てもいいように予防線を張り巡らせておく。
自分から電話はしないし、彼の帰宅時間に合わせて家事を済ますこともない。
「一生」「ずっと」「絶対」なんて言われようもんなら、心の中で「そんなわけない」とブレーキをかける。
相手に対して失礼なことは分かっているが、「期待しない」「信用しない」「追いかけない」の3か条によって、私の鉄メンタルは保たれた。
以来、ちょっとやそっとの恋愛トラブルではそこまでへこまなくなった。
数日返信がなかろうが、他の異性と頻繁に連絡を取っていようが、「自分以外は他人なのだから」と思えば解決すること。
いちいち悲しむことも、怒ることもない。
別れが来ればその時だし、遅かれ早かれいつかはやってくるものだからと。
そんな淡泊な恋愛は、トキめくことはなくとも楽だ。
相手に振り回されない恋愛こそ、健全で、真っ当なものなのだとも思っている。

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それでも、ふと思い出す時がある。
若い時分、パートナーの返信のスピードに一喜一憂していたこと。
全身全霊で彼を愛し、尽くしていたこと。
「好き」「会いたい」の言葉に浮かれて過ごした夜のこと。
そんな、恋に一生懸命だった私がいたことを、忘れたくない。
傷ついてでも、好きだと思える相手がいたことを忘れたくない。
「自分以外は他人」だが、自分以上に他人を愛せたなら、それは最も素敵なことなのだと思う。
傷ついてでも一緒に居たい、そんな風に思える恋愛も、また正解なのだと思う。
もう二度と、そんな恋はできないだろうと思う一方で、昔のように全てをかけて恋をしてみたいと密やかに願う自分もいる。
あの時の気持ちを忘れさえしなければ、いつかまた、夢中になれる恋に出会えるのだろうか。