真実を学び相手の気持ちを大切に。自分の色眼鏡に気付いて考えたこと

世の中にはいろいろな色眼鏡で人や物を見る方々がいる。
民族、性別、年齢でバイアスかけちゃって、勝手に決めつける。
例えば、他国の人は公衆マナーが成っていない、女はすぐに泣く、年寄りだからスマホが苦手……。 かくいう私もその一人だとでスマホもPCも苦手。
寒い夜中に改造バイクで爆音を出して走る人たちに「ご苦労様、淋しいんだね。でも迷惑だよ」と独り言を言う。
じゃぁ、なんで色眼鏡をかけて人や物をみるのかな?
思うに、見る側に知識(智恵)が無いことが原因ではないかしら?
他国の人でも日本に馴染んでいる人は沢山いる。
男性だって感受性が高くてすぐに涙が出る人がいる。
ITマスターの老婦人だっているよね。
まず、その相手に直接会って話をしてみたら、好きか嫌いかわかる。
自分が好きな人は善い人。
または、いろんな人の自分と合うところだけとお付き合いすればいい。
好きじゃない人とは無理にかかわらなくてもいいし、その人の良くない噂を私が発信しなくてもいい。
人も物も「ただそこに存在するだけ」 だよね。
それなのに直接話をする前から、学歴、職業(経済力)、家系で人を判断することは要らない。 物も、買った時の値段とかどうでもいい。 自分が気に入って毎日使っているものなら大切にする。 誰かが大切にしているものをわざわざ「おとしめる」ことも要らない。
それって、比べてみて自分が「上」でいたいだけ?
つまりは、きちんとした多くの知識(智恵)を持って、その上で自分の感性で判断する。
それでいいんじゃないかしら?
私は昔から身体が大きくて、よく「運動神経よさそう」と言われたけど、全くダメ。
だから大きな身体の自分は嫌いで、小さい身体の女性に憧れていた。
ある日、体調不良で行った病院で小さい看護師さんがキビキビ働いているのをみた時「小さいのに頑張っているな」と思ったことがあった。
その時、自分で自分に愕然とした!
なんて失礼な考えだろう。
私は小さい身体の人を下に見ていたのか!
大きいも小さいも関係ない、私は私、看護師さんは看護師さん。
ただそこに存在しているだけで、全く別だよね。
心のどこかで比べて、そして(もしかして)いい気になっていた?
ふざけるな!私!
それからは、思い浮かんだ言葉や感情は一度飲み込んで、要らない感情や思いであれば、すぐに手放すことにした。
色眼鏡をかける → 素直に物を見ない(感じない) → 先入観 → 偏見 → 差別 → 歪んだ認識 → 烙印 → 汚名(不名誉なレッテル)
怖い……怖すぎる。
SNSの投稿や週刊誌の爆弾報道を鵜吞みにして、会ったこともないのに攻撃する人たちは一度落ち着こう。
きちんと会って話をして取材をしての投稿・報道でない場合は、そのサイトを見るのをやめよう。
真実の情報(当事者の本当の気持ち)を得るのと、偽や嘘の情報(憶測・ガセネタ)を得るのとは知識(智恵)量が格段に違うと思う。
それに、今までの慣例や慣習でも、時がくれば常識自体が変わる。
歴史の教科書でさえ新事実が発見されれば、どんどん変わる。
最近では「大化改新」が「乙巳の変(いっしのへん)」となり「聖徳太子」も「厩戸皇子」で普通の皇子。物事は常に変化している。
良く真実を学び、相手の気持ちになり、その上で自分の感性を信じる。
そうしたら、素直な物の見方になり、素直な感性、素直な心根で濁りのない生き方になる気がするの。
色眼鏡は目の保護をする時だけ掛けようね。
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