5か月の娘と、私が行きたい場所に自分の足で行く。小さな改革の一歩

「凛とした女の子におなりなさい」これは、作詞家の阿久悠さんが書いた詩だ。およそ15年前、暮しの手帖の中に記されたその文章に、当時の私は励まされた。「自由で強くてやさしい子」彼の考える「凛とした女の子」が私の憧れの像と重なった。
ハワイ島で結婚して、丸7年が過ぎた。結婚後も学生を続けていたから、1人で出歩くことも多かったし、割となんでも自分でやっていた。自由に、気持ちが赴くままに動ける自分が心地が良くて好きだった。
しかし、妊娠を境に夫に頼ることが増えた。拙い英語で、判断のミスを避けたいという潜在意識もあったと思う。出産後も引き続き、小さな間違いが命に直結する可能性があるから、子どもの検診は夫が同席してくれた。育児に関する全ての情報を夫と共有していたので、私の出る幕もなく「ただそこにいる人」になっていることが多かった。
さらに、子どもたちに日本語を学ばせるためにも、私は英語ができない方がいい!と思っていた。今思えば、完全に自分への言い訳でしかないけど、結構本気だった。
助産師さんとのやり取り、保険の仕組み、プリスクールの対応、旅行の手配、食事の注文、ちょっとした立ち話。あげればキリがないが、家族単位で動くことが増え、ほぼ全てを夫が手を動かして進めてくれていた。
ふと我に返ったら、なにもできない自分になっていた。
「あれ、これってどうやるんだろう?どうなってたっけ?」
知らないうちに、小さな塵が積もって体が重くなっていた。何をするにも、夫に聞いて夫が解決してくれる。ありがちな、夫は何も知らないとは真逆の「完全夫参加型」で家族としては良かったと思う。でも、私としては少し不自由になっていた。
人生の半分あたりを目前に、これからのことを考えてみた。年齢はただの数字でしかないけど、改めて「今日が一番若い」と実感するようになった。そうしたら自然と、もう一度自分でやってみたいという気持ちが湧いてきた。確実に衰えてきている体や脳を、今使わずして将来に使える確約はない!という、ちょっとした焦りもあるかもしれない。
これをきっかけに、私の小さな改革が始まった。
子どもたちのためとかこつけず、英語にチャレンジしたっていいじゃん!夫の影に隠れず、私から話しかけてもいいじゃん!夫に相談せず、私だけで決められるものがあってもいいじゃん!
この小さな改革の一歩を、生後5ヶ月の娘との小旅行に決めた。彼女のパスポート作成のために2人で飛行機に乗りオアフ島まで出向くプランだ。チケットの手配、タクシー会社に電話、私が行きたい場所に自分の足で向かう。
本当のところ、始めはちょっと心細かった。夫もギリギリになって「やっぱりみんなで一緒に行こうか?」と言ってくれたけど、ちゃんと断った。実際に行動していく中で、心にあった不安がワクワクに変わっていくのを体感できた。なんだか久しぶりに、あの頃の自由な自分に戻った気がした。
私はまた、自分の足で歩き始めている。私は、ちゃんと強い。
周りから見たらなんてことないことだけど、私にとってははっきりとした意識の違いがあった。寄りかかれる存在に感謝しつつ、自分の責任で人生を進んでいる感じ。
最初の一歩を踏み出すときに不安は付きものだ。誰しも心許ない気持ちを感じたことがあると思う。ただこれは脳の仕組みらしいので、不安な私が現れたときはもう1人の私が「脳のせいだから大丈夫」と背中をさすってあげようと思う。
私は、強くて逞しい自分が好きだ。そんな自分を好きになれるなら、女の子だって強くたっていい。自分を好きになれる女の子が増えていったら、世界はきっと今より明るくなるはずだ。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
恋愛やキャリアなど個人的な経験と、Metooやジェンダーなどの社会的関心が混ざり合ったエッセイやコラム、インタビューを配信しています。