いくら年月を経ても記憶は消えない、その前には二度と戻れないあの日

東日本大震災。あれから14年が経った。被災地ではなかったものの、当時はとても怖かったのを覚えている。
祖母や母と3人で買い物をしていたら、いきなり揺れて周りの商品が落ちてきた。驚いて固まっていたらアナウンスが聞こえ、母に手を引かれながら店から外へ出た。家で留守番している祖父と連絡が取れなくて、不安そうな顔をした祖母と母。やっと電話が繋がって祖父の無事を確認できたときは、みんなホッとしていた。
被災地では少しずつ普通に暮らせるようになっている人もいるけれど、以前とまったく同じというわけにはいかない。家族が亡くなってしまった人。仲が良かった友人と離ればなれになってしまった人。夢を諦めなければならなくなった人。
悲しいけれど、二度と震災前の生活には戻れない。そして、年月がいくら過ぎたとしても、あのときの記憶がなくなることもない。
私もあの日が衝撃的だったせいか、ちょっとした変化があった。
まず、「揺れ」に過剰に反応するようになった。震度がそんなに大きくない地震でも、あの日の地震を思い出してしまう。社会人になってからも仕事中に地震が起きたことがあったけれど、冷静に振る舞いつつもキーボードを打つ手は震えていた。
また、疲労で目眩が起きやすい体質で、そのときにクラクラして目の前が揺れているような感覚になることがある。それを自分の目眩なのか地震なのか判断できなくて、もし後者だったらと不安のあまりいつも心臓がバクバクしてしまう。
また、夜寝ていて地震の夢を見るようにもなった。当時あったようにお店で陳列してある商品がドサドサ落ちてくる夢だけでなく、テレビのニュースで見た被災地のような光景が広がっていることもあった。実家が全壊して家族が下敷きになっている夢を見たときは、助けなきゃと飛び起きてしまったこともあった。
毎回「夢で良かった」と思うけれど、被災地で実際に経験している人たちのことを思うと、とても胸が痛んだ。最近はあまりそういった夢を見なくなったけれど、いつか地元や今住んでいる所が被災地になって、あの悲劇を経験することになったらと考えるだけで怖くなってしまう。
悪いことばかりではなく、いつか自分が被災してしまったときのために色々と準備するようにもなった。大きめのリュックに最低1週間は生き延びられるよう、防災グッズを詰め込んである。時々、必要なものがちゃんと全部入っているか、非常食の賞味期限が切れていないかを確認するようにしている。
あの地震があったから、防災意識を持てるようになったのかもしれない。特に地震大国と言われている日本に住んでいるからこそ、しっかり備えておかないといけない。
被災して今までの生活が、これからの人生が大きく変わってしまったらという不安は消えない。いくら備えていても、実際に大地震や津波など来られたらただ必死に逃げ惑うだけで、私たちには何もすることができないかもしれない。
それでも、いざというときのためにできる限りのことをしておくことは、まったく無駄というわけではない。きっと、心細くなったときに一時的であっても「大丈夫」と思わせてくれるお守り代わりになるし、大切な人や自分自身を救うことに繋がると信じている。
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