私には一つ年上の兄がいる。兄は、運動神経が良い。運動会は決まってリレー選手に選ばれていた。小学校高学年になると、中学受験に備え、塾にも通っていた。
お正月、毎年恒例で親戚が一堂に会し、お年玉が配られる。私と妹は同じ金額で、兄だけがいつも2倍多く貰っていた。

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「なんで兄ちゃんだけ沢山もらえるの」こう尋ねると、「男の子だから」「長男だから当たり前だろ」口々にそう言われた。
しかし「なんで男の子だからって多く貰えるの?」「私だってお姉ちゃんなのに!」と、疑問と不満が募るばかりだった。

「私も中学受験したい」そう言うと、母は「ダメ。あんたには無理」と、一蹴した。
なぜ兄だけ優遇されるのか。その悔しさから、兄よりも良い結果を出すということが密かな目標になった。

公立中学校に進学し、吹奏楽部に入部した。運動は苦手だけど、音楽なら兄よりもできる。そう考えた私は、毎日練習に励んだ。フルートを担当し、高学年になるとパートリーダーも任されるようになった。定期演奏会では、田舎で暮らす祖父母がわざわざ聴きに来てくれた。

「ようやく認められた」

私はそう思った。

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しかし、お年玉の差が埋まることはなかった。

「ああ、そうか。やっぱり勉強かスポーツで成果を出さなければいけないのか」とづき、今度は兄よりも偏差値の高い高校に入ることが目標になった。

部活後に必死に勉強し、見事合格することができた。地元では人気校で、倍率も高かったため、周囲からは祝福された。

それでも、お年玉の差が埋まることはなかった。自分だけ多くのお年玉を貰って得意げになっている兄を見て「ああ、そういうものなのか」と虚無感を覚えた。と同時に、男に負けたくない。男よりも賢くなってやる!という強い競争心が芽生えた。

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高校生になり、志望する大学を目指して猛勉強した。「誰もが知っている、有名な大学に入りたい」その一心で。両親も応援してくれたが、「女の子だから浪人はダメだよ」
「女の子で浪人する人なんかいないでしょ」という古い価値観のむき出しに、何度か心が折られることもあった。

志望大学に合格したときには、これまでの努力が実り「私は大抵の男よりもできる」と自信につながった。

長年こうした「男に負けたくない!」という負けず嫌いをエンジンにして生きてきたため、男性に対して勝手に敵意を向けたり、ライバル視をしたりしてしまい、まともに恋愛はできなかった。

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初めて彼氏という存在ができた時に、ようやく「男に負けたくない!」という呪縛に囚われていたことに気づいた。「男性」以前に一人の人間であり、価値観も性格も様々であるにもかかわらず、「男性なんてどうせ女性を対等に見てくれない」という強い偏見がはびこっていた。

今でも私自身、色メガネは完全には外しきれていない。ただ単純に、若手だからやるべき雑務を任されたとき「え、女だから…?」と即座に思ってしまったり、「可愛い、スタイルが良い」という言葉を素直に受け入れられなかったり。
少し考えれば、ただ好意的に伝えられているだけだと分かることでも「女だから舐められているのでは…?」と曲がった解釈をしてしまう。

また、あんなに「男に負けたくない!」と強い意志を持っていたにもかかわらず、20代後半に足を踏み入れ、男性に「男らしさ」を求めている自分もいる。

「女だから」と色メガネをかけて見られ、嫌悪感を抱く自分。先入観から色メガネをかけて、即座に跳ね返してしまう自分。「男らしさ」を求めて色メガネをかけてしまう自分。こうした自分が抱える色メガネたちと、今後も真摯に、無理せず、ゆっくり向き合い続けていこうと思う。