みんな違っていて、よい。

小さい頃、物心つく前に私は、両親が共働きで忙しかったため、父方の親戚に兄と一緒に預けられることになった。親戚の家にいた祖父は兄弟が多かっただけでなく、漁師だったため漁師仲間も多かった。

自分自身、赤ん坊の頃に会った人は覚えていなかった。男性が多かったため、普通は赤ん坊でも人見知りをするものだと思うが、私の場合は、一緒にいても嫌がらなかったのだそうだ。祖母からも最近、その話を聞いていた。

だから、初対面の男性に話しかけられた時や、美容院で男性の美容師に自分の髪を切ってもらうために触れられても全然嫌がらなかった。対人の仕事のため店員との相性もあるけど、あまり抵抗はなかった。

◎          ◎

このときから、男兄弟がいるため、学校でも男子と話す時は女子よりも話しやすかった。「女子で男友達が多いと男好きだと言われるよ」とクラスメートに言われたことがあった。そんなに、周りに気を遣ってコミュニケーションを取らなきゃいけないんだと思うようになった。

それは、勤めていた先でもよくあった。小学校の先生は女性比率が大きいが、私の行ってた中学校は男性比率が大きかった。だから、職場では男性のようにひいきされることもないまま、奴隷のように働かされた。

「女性だから、それぐらいの仕事やってくれればいいよ」というような女性というだけで、身分が下になるような発言を何回も聞いてきた。これこそ、『色メガネ』をかけて言われたように感じた。

けれども、実は、中学生の頃に、差別のない考えを持つようになった出来事がある。それが、ある男子生徒との出会いだった。

彼は、体も心も男だけど、好きになる対象が男だという生徒だった。彼は、勉強が出来て、スポーツが出来て、それに人とのコミュニケーションも上手にとることができる。英語のスピーチにも代表で出てしまうほどの実力だった。

彼こそ、その分、みんなの持っていない魅力の持ち主だと当時の私は思った。当時の私は、彼と他の女子たちと混ざって好きなアニメの話や恋バナなども話したことは中学校の楽しい思い出になった。

◎          ◎

私は、その8年後に先生になって、また、学校で彼に似た生徒を見かけたことがある。

私は、彼のことを思い出しながら、その生徒は授業や行事等にも深く関わらなかったのもあり、できるだけその生徒の思うままにいきいきと学校で過ごせるように、温かく見守るようにした。

私は、これらの出来事から、「みんな違って、いいんだよ」ということが伝わるように、日本に限らず、世界にも広げて取り組んでもらえるよう、声を上げたい。

みんなそれぞれの個性や魅力があることが、この『色メガネ』を外す合い言葉にもなるかもしれない。金子みすゞの詩に書いてある最後の一節に、「みんなちがって、みんないい」というのがある。それぞれ、男なのに、女のように生きたい人がいて、女なのに男のように生きたい人もいる。それも、苦しまずに、自分の思いのまま、つまり、ありのままの自分で生きてもらうことが大切である。