数年前、私はとある福祉施設を去った。
理由は、安心安全に通えなかったから。

◎          ◎

私の経験や特性や感覚は周りから想定されていないことが多く情報源が少なく人に説明すら出来ず地獄の色メガネを向けられる事が多かった。通信制の高校に行っていたと専門学校の人達に行ったらシーンなった。

自分のセクシャリティを話すと、「そんなものはない」と否定された事もある。生まれた時からどこか常に120%の力でやって、授業や会社の作業スピードにギリギリ追いつけるか、それでも追いつけないの人生である。私は生まれた時から身体を壊しやすく健常者と障害者を行ったり来たりしていた。

◎          ◎

福祉施設に通っていた時、私は何度か性被害にあった。被害にあった後、吐き気と恐怖でいっぱいになった。

福祉施設を何日か休んでしまった後、支援員さんに、性被害に遭ったことを伝えると、
「何で言わなかったの?」「ズボンにしたら?」「服装も関係あると思うよ」など二次加害の発言や服装や容姿の変更をするアドバイスをされ、凄く絶句したし悲しかった。と同時にこの人は性教育を学んでいないのでは?と思った。

私は産婦人科医の方が監修で入っている性教育動画を見て学んでいたから、性被害に逢うことに服装や容姿は関係ないと真に受けずに済んでいるけど、他の障害者の人が、もし性被害や危ない目に会った時、二次加害的な発言をした支援員の言葉を真に受け、間違った情報だと気づかない人もいるだろうし傷つく恐れもある。もう二度と相談しないと思う人もいるだろう。

全ての人に性教育や知識や知恵があればと思うが、そもそも私が性教育を学校で受けたのは小学生の時だけだったし、男女で別れてVTRを見た記憶があるが内容までは覚えていない。
私はたまたま知識を得られたけど、そうじゃない人が、まだまだ多いのだろうと思う。

◎          ◎

時間とお金は有限で忙しすぎて勉強すらできない人もいるだろうし、社会の仕組みは万全とは言い難い。福祉施設で働く人もコロコロ人が変わるし辞めていく人が多い、入ってきた人も障害者に接した事かあるのか分からないし、知識があるのかどうかも分からないので、自分の身は自分で守らきゃと思ったのもあるが、そもそも、障害者と健常者、教室が違うか通っている所が違うし分断され過ぎていて接し方が分からないのでは?と思う。

私が小学生の頃、聴覚と視覚の障害者の方に来ていただいて学ぶ機会があった。その時は困り事を話してくださったので理解が深まったけど、特別支援学級のクラスの交流会の時は、特に先生から接し方を学んだ訳ではなく、り出され困惑した思い出がある。

福祉施設を辞めてから、ずっと考えている。ここまでの思考に行き着いたのは何を隠そう私が色メガネをかけていたし、自分の意見が正しいと思っていたし、心の中で冷笑して馬鹿にしていたなと思う。そしてこの人達には分からないだろうと交渉と対話、説明出来なかった私にも安心安全を作れなかった反省がある。

◎          ◎

完璧な人など居ないし、1人1人が違う人間で、体力や知能や知識の量、体調、得意不得意や、好きな事や嫌いなこと、しっくりくる性的志向の名前は違う。それに、その時々によっても違うということと、考え方や物事の捉え方や目線が違うということを分かっていないと、軋轢や分断を生むだけだし、安心安全な会話や会社や居場所にはならないと思う。

多様性は難しいし、面倒くさいと思う。
だけどその面倒くささと対話と交渉、考え続けること、知識を知恵を身につけることを放棄すれば、たちまち上から押さえつけ否定し、自己責任論と無理解が横行し、冷笑して馬鹿にして、気合と根性でどうにかするか、我慢するしか無くなるのだと思う。もういい加減そういうの辞めた方がいいと思う。

どうかよい安心安全な世界になりますようにと祈らずにはいられないし、安心安全は皆で作るものだと感じている。