元旦に北陸を襲った震災から、一か月以上が過ぎた。
テレビから流れるニュースでは、家族を失った被災者の悲痛な声や涙ぐみながらも互いに励まし合う人々の姿が映し出されている。いまだ断水している地域も多く、福祉施設には洗濯物が山となって積まれていた。静岡という災害リスクの高い地域に住む身として、今回の地震で生じている出来事は到底他人事とは思えない。小学生の頃から、あと30年で地震が来る確率は70%だと言われてきたのだ。いつ自分に同じことが起こるかわからない。
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そんな中、一連のニュースで一番印象に残っているのが、支援物資における生理用品の問題だ。生理用品の物資が足りずに支給を求める女性がいる一方で、食料に比べたら優先度は低いと主張する男性が一定数いるという内容だった。女性の身体で生きてきた側からすると、この主張には衝撃を受けた。私の知る生理は、月に一回やって来る、下腹部が搾り取られるように痛み、不定期に血がドッと出て、外出時には下着からスカートへ漏れてないか不安になり、臭いが周りに気づかれていないか悩む一週間だ。子供を産むには大切なものだが、正直マイナスな要素の方が多い。断言できるのは、生理用品は緊急時にも必要不可欠なものだということだ。断水している中での布ナプキン使用は非現実的であるし、同じナプキンをずっと着用すると感染症のリスクが生まれるからである。こうした生理に関する知識は、男性のどのくらいの割合が知っているのだろうか。
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今回の震災で浮き彫りになったのは、生理に対する男女の認識差の問題である。なぜ「食料も生理用品も必要」と結論づけられるのではなく、「食料の方が生理用品よりも必要」とわざわざ差別化しなければならないのだろうか。ここには、日本の性教育の不完全さと女性の痛みへの軽視が内在していると考える。私の学生時代、性教育は男女別で行われており、女子にだけ生理への理解を深める講座が行われた。男子に隠れて女子だけの秘密を共有しているみたいで、妙な気恥ずかしさと後ろめたさを感じた記憶がある。そのため、男子がどのような教育を受けたのか、その中に生理への知識は含まれていたのかどうかはわからない。この植え付けられてしまった「生理=恥ずかしいもの」という認識を払拭するために、正しい生理への理解を男女等しく行う必要があるのではないだろうか。
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また、女性の痛みの軽視に関しては、日本社会の抱えるジェンダーギャップの問題と密接に結びついている。緊急避妊薬が海外諸国と比べて高額であること、中絶に掻爬法が用いられること、無痛分娩が冷遇されること、これらは女性しか味わうことのない痛みであり、一生を左右する決断で強いられる痛みである。この「痛みの透明化」の問題を提起し、社会へ声を届ける必要がある。その際、女性の連帯だけでなく男性の認知も重要だ。痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい。それは恥ずべきものではなくて、労るべきものだ。
今回のニュースは、生理に対する社会の断面図を教えてくれたと同時に、女性の痛みを社会全体で認識できていない問題を示唆していた。被災した女性を「女性」である苦しみから解放するため、彼女たちに共感をもって寄り添うことができる私たちが、一緒に声をあげつづけよう。