10年前、高校生だった私はいつも誰かと自分を比べて、自分が劣っていることや他人よりできることを探してばかりだった。今振り返ると、本当にちっぽけでどうでも良い考えをしていたなと思う。

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この考え方は、大学在学中でも尾を引いていた。
SNSでは裏アカウントを作成して、自分が劣等感を感じたことや不満などを書き連ねていた。

「可愛い子はずるい」

この言葉が私にとってのキーワードだったと思う。
可愛い子は自然にどんな服も似合って、ずるい。美人な子だから、男性にチヤホヤされている。自分にはないものと考えていたから、色んな負の感情が出てきていた。自分は可愛くない。そう思い込んでいた。
多分、あの頃の自分は、自分で呪いをかけてしまっていたのだと思う。

鏡を見るたびに、どうして自分の目は離れているのだろう。芸能人みたいに涙袋もないし、鼻も低い。顔ものっぺりしているし、胸もない。そうやって、自分の嫌なところばかりを探していた。

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そんな私が変わることのできたきっかけは、オードリー・ヘプバーンという女性を知ったことだ。

オードリー・ヘプバーンは、「ローマの休日」という作品で一躍トップスターとなった女性だ。映画好きであれば一度は観たことがあるだろう。とても華奢な身体と、可愛らしい顔に似合うショートカット。現代でも語り継がれる、ミューズと呼ばれるべき女性。

元々、オードリー・ヘプバーンという人物のことは知っていたが、彼女自身についてはあまり知らなかった。

オードリー・ヘプバーンは数々の言葉を残している。

「不可能なことなど何もありません。不可能(Impossible)という言葉自体が『私は可能(I’m possible)』と言っているのです」
「最高の勝利は、自分の欠点を受け入れられ、ありのままの自分で生きられるようになったこと」

そして、彼女は絶世の美女と言われるくらいの容姿だが、自身はコンプレックスを持っていたという。諸説あるが、エラが張っていることや、鼻筋が真っ直ぐではないこと、バレリーナ向きではない高身長や、胸の小ささ。

私がこの話を見た時、「こんなにキレイで美しい人なのに、コンプレックスがあるのか!」と驚きだった。そして、彼女のエピソードに触れるたび、私の考え方は変化していった。

私は私であり、他人は他人。私だけは自分を信じてあげなくちゃいけない。自分だけは自分の味方でいよう。

そう思えるようになったのも、オードリー・ヘプバーンのおかげなのだ。

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他人と比べることをやめてから、私はやっと人として生きられるようになったと感じる。今までは他人と比べることばかり考えて、頭の中はそれでいっぱいだった。

でも、今は違う。コンプレックスばかりだった私の顔を「可愛い」と言ってくれる人がいると知った。意外と周りの人は自分のことなんて気にしていないということも知った。

私が私らしく生きることで、人生は変わっていくのだと知った。

といっても、今でも気分が落ち込む時はある。そんな時には昔みたいな考え方をしそうなこともある。うまくいかなかった日は「不幸だー!」と泣きたくなるし、「なんで自分だけ」と自分本位な考え方をする時もある。

でも、少しずつ「自分にとって良いところ」に目を向けるだけでも、人生って簡単に上向きにできるとわかっている。私が私だから応援してくれている人がいる。

そう気づけただけでも、私はオードリー・ヘプバーンと出会えて良かったのだ。