「女の子なんだから、おとなしくしてなさい」

小さい頃から何度も言われた言葉だった。走り回ると「女の子らしくない」、大胆なことをすると「はしたない」。周りの大人たちは、当たり前のように私を「女の子らしい」型にはめようとした。

しかし、私は活発な子どもだった。鬼ごっこやサッカーが好きで、スカートよりもズボンを好んだ。それなのに、好きなことをするたびに「そんなことしてたら、男の子に嫌われるよ」と言われた。私は「女の子らしくない自分」に違和感を抱くようになり、やがて、自分自身を「おかしいのかもしれない」と思うようになった。

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成長するにつれ、「女だから」「男だから」という考えに少しずつ疑問を持つようになった。大学生になり、看護学を学ぶ中で、私はさまざまな患者さんと接する機会を得た。ある日、認知症の高齢男性を担当することになった。その方は昔ながらの価値観を持っており、「看護は女性の仕事」「女の人は優しくて当たり前」といった言葉を口にしていた。

最初は「またか」と思った。幼い頃から何度も聞いてきた言葉だったから。しかし、ある時、その患者さんがこぼした言葉にハッとした。

「俺も、男だからってずっと我慢してきたんだよ」

彼は戦後の厳しい社会の中で、「男は泣くな」「家族を支えろ」と言われ続けてきたという。家族のために感情を押し殺し、弱音を吐くことすら許されなかった。その重圧に苦しみながらも、「男だから」という理由で誰にも頼れなかったという。

私は気づいた。偏見を持たれているのは、女性だけじゃない。私もまた、「男の人は強くあるべき」という色メガネをかけて、その患者さんを見ていたのだ。

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それから、私は自分の中の「色メガネ」に意識を向けるようになった。「女だから〇〇すべき」「男だから〇〇すべき」という考えが、無意識のうちに自分の中にも根付いていたことを知った。

たとえば、看護の現場では男性看護師に対して「力があるから移乗介助をお願いしよう」と頼ることがある。しかし、それは「男性=力仕事が得意」という先入観に基づいた考えではないか?また、女性看護師がリーダーシップを取ろうとすると「強すぎる」と言われることがあるが、それもまた「女性は控えめであるべき」という価値観の表れではないか?

「色メガネ」を外すことは簡単ではない。でも、自分が持っている先入観に気づくことで、少しずつそのレンズを曇らせることはできる。

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今でも私は、無意識に「色メガネ」をかけてしまうことがある。しかし、大切なのは「自分の中にも偏見があるかもしれない」と気づくこと。そして、それに向き合い、少しずつ視界を広げていくこと。

「女だから」「男だから」と決めつけるのではなく、一人ひとりの個性を尊重できるようになりたい。患者さんと向き合うときも、看護師として働くときも、そして母として子どもを育てるときも。

色メガネを外した先にある景色を、もっと見ていきたいと思う。