今日は二重の調子が悪い。いつもは細く切った絆創膏を瞼の上に貼ると幅は狭いが一応二重っぽくなるのに。
体重計に乗る。0.7kg増えている。下着も含め、身に着けているもの全て外して再度乗り直す。やっぱり0.7kg増えている。
洗顔中、新しいニキビを発見する。一昨日、前のが治ったばかりなのに。
着替え途中、足に毛の剃り残しを発見する。あと5分で家を出なくてはいけないのに、慌てて洗面所に駆け込む。
毎朝格闘しながら、自分の中で最上級の姿を作り出す。
それでも家から出てショーウィンドウに映る自分の姿を見ると、最上級だったはずの自は随分ちっぽけで、ちぐはぐで、おかしな姿に見えて、ぶわっと変な汗が噴き出すのだ。分

「かわいい」の基準って、いったい誰が決めたんだろう。
大きくてぱっちりとした瞳、長い睫毛、すべすべの白い肌、サラサラとした髪の毛、細いのにどこか柔らかそうな小さいからだ。
どれも持っていない私って、やっぱり世間的には「かわいくない」んだろうか。
他人からの評価を、逐一気にするようになったのっていつからだろう。

可愛い子と自分の圧倒的な差に苦しみ、コンプレックスが膨らむ日々

小学生の時、同じ学年にすごく可愛い子がいた。
目が大きくてスタイルが良くて大人っぽくて、特別仲が良かったわけではないけれど、地味な私にも分け隔てなく接してくれる優しい女の子だった。
その子と、たまたま修学旅行で一緒に写真を撮ることになり、後日現像したものを見て驚いた。私って、こんなに色黒だったっけ?こんなに目が小さかったっけ?歯並び悪かったっけ?可愛いその子とどうしても比較してしまい、何だか自信満々にポーズを決めている自分が滑稽に思えた。
今まで気にしたことなかったが、そこに圧倒的な差があることを初めて実感した。

写真でうまく笑えなくなった。運動会のような行事で、ふいに向けられるカメラに体が硬直するようになった。待って、今変な顔になったのはくしゃみする瞬間だったから!誰に聞かせるわけでもないのに、虚しい言い訳で頭の中がいっぱいになる。
アイドルや女優を見て素直に「可愛い」と言えなくなった。醜い嫉妬心に苛まれ、「羨ましい」「ずるい」と思うようになってしまった。
無駄毛が気になり肌の出る服を着れなくなった。夏でも長袖シャツで登校するようになった。
チャームポイントはどこ?という質問に、幼い時は「笑顔」や「ほっぺた」と答えていたが、年を重ねるごとに答える自信がなくなり、今では誰からも突っ込まれなさそうな「爪の形」と答えるようになってしまった。
だんだん自信の持てる箇所が少なくなってきて、だんだんコンプレックスに苛まれるようになった。

ありのままの私を受け入れる恋人の存在が、心を軽くしてくれた

そんな私に、大学2年生目前の春、人生で初めて恋人が出来た。
穏やかで優しい性格の男の子で、約半年の片思いを経て私から告白をした。
告白の際「私が不二子ちゃんみたいになったら付き合ってくれますか」と、今考えたら意味の分からないことを口走ってしまったが、それに対し彼は噴き出しながら、「今のままがいいよ」と答えてくれた。
顔も可愛くない、スタイルもよくない、そんなありのままの私を、彼は魅力的だと感じ愛してくれた。
ありのままを曝け出すことに恐怖を感じていた心が、だんだん溶けていくのが分かった。

食べている時の顔や歯並びを気にして、好きな人の前で食事するのが苦手だった。すっぴんを見せるのも抵抗があった。寝顔や泣き顔なんて一番最悪の部類に入ると思っていたから、友達の前でも極力見せないようにしてきた。
だけど、彼と過ごしていくうちにいちいち気にしているのが馬鹿らしくなった。
どんな姿を見せても、等身大の私を受け入れ、愛してくれる。
私は私のままでいいんだ、そう考えると心が随分軽くなった。

少しでも魅力的な自分へ。ポジティブな考え方で努力が出来るように

反対に自分もそれほど人の服装や表情を気にしていないことに気が付いた。
同じように、周囲も私の顔や容姿をいちいち品定めしているわけではないんだ。マイナスの自意識過剰だったんでは?と最近感じるようになった。

前ほど気にしなくなったとはいえ、今でも身なりに関しては相当アンテナをはって過ごしている。
でもそれは以前の「可愛くない自分を殺したい」という考え方より、「彼に少しでも魅力的な自分を見てほしい」といういささかポジティブなものに変わった。
身だしなみを気にするのはいいことだが、あまり自分を追いつめすぎたり悲観しすぎたりしないように気を付けている。

大なり小なり、みんな容姿や体型に悩みを抱いていると思う。自身の努力だけではどうにもならない現状にもがき苦しんだり、他人からの評価に傷ついたり。それでも自分を変えたい、もっと可愛くなりたい、誰もが理想を追い求め、時にその強い思いに押し潰される。
「そのままでもいいんだよ」。私はこの言葉に救われ、鬱屈とした容姿へのコンプレックスから、ポジティブな考え方で努力が出来るように変わりずっと生きやすくなった。
自分は自分のままでもいいんだ、誰もがそう思えるきっかけがこの世界に溢れてほしい。