今から私は、世界で一番大切な人のことを、皆さんに紹介します。とても素敵な人なので、きっとみんな彼女が大好きになるよ。私と彼女は、もう長い付き合いで、生まれてからずっとそばにいて、ずっと一緒に同じ景色を見てきたんだ。楽しいことも嬉しいことも、悲しいことや恐ろしいことも、全部知ってる。勇敢で繊細な、優しい人。彼女が生まれたのは、今からおよそ30年前の、夏の暑い日だった。

真冬でも小麦色の健康的な肌は、静子ばあちゃんから。目元は雄治じいちゃんそっくりで、口元はパパそっくり。10歳まではずっと痩せて小柄だったけれど、生理が始まったあたりからどんどん肉付きが良くなって、ずっとぽっちゃりだったよね。顔のコンプレックスは幼稚園の頃からで、ぽっちゃりし始めてからは体型も追加されちゃったね。地黒で体格が良かったから、時々知らない人にとても期待を込めた目で「何部に入ってるの?」と聞かれて、「吹奏楽部」と言っては勝手にガッカリされて。笑って持ちネタにしていたけれど、こっそり傷ついてもいたんだよね。

◎          ◎  

小学生の頃は、真面目で大人しかった姉や兄と比較されて、少しだけしんどい思いもしていたんだよね。勉強をするのがあまり好きでなくて、だけど音楽にはとっても素敵な才能があったんだよ。ママ譲りで歌がうまくて、ピアノも弾けた。管楽器に才能があると気付いてからは、とても楽しかったよね。

あれから彼女は、本当に頑張って努力をして、高校を卒業して1年浪人までして、みんなに不可能だと思われていた志望校に合格して、とても有意義な大学4年間を過ごしてたんだ。全身に蕁麻疹が出た日や、眠れなくて苦しい日々もあったけれど、それでも音楽に囲まれたあの日々は、どんなに辛くても楽しくてしょうがなかったよね。そして、それは大学院でもそうだったね。「海外で勉強をする」という子どもの頃からの大きな夢を叶えて、スイスであんな素敵な先生に弟子入りして、本当に格好良かったよ。コロナが始まってからは、大変なことしかなかったけれど、それでも頑張って生きる選択をした彼女は、本当に偉かったと思う。

◎          ◎  

1日4時間しか寝れなくなって、声も出なくて、感情が黒一色になってしまった時もあったね。それでも、生きたいと思ってくれてありがとう。偉かったね。病院に行く決意をして、通院しながら大学院の休学の手続きをして、寮の部屋を片付けにスイスにまで行ったんだ。すごいよ。最後の2週間、一緒に旅したスイスの街はとても綺麗だったなあ。また行きたいね。

帰国してからは、就職活動をしたよね。京都や大阪や、北海道まで面接を受けに行ったけれど、どこも採用してもらえなくて、諦め半分で受けた今の会社だけが、拾ってくれたんだよね。アパレルで働き始めて、彼女はどんどん綺麗になっていったんだよ。病院の先生のアドバイスでジムに通うようになって、既に8キロ痩せていたんだけど、働き始めてメイクや外見にお金を使えるようになってからは、どんどん垢抜けていったんだ。昔の知人に会ったらみんなびっくりするんだよね。昔は不意に鏡に映る自分の姿が、あまりにも不細工でびっくりしていたのに、最近はとっても綺麗でびっくりするんだよね。コンプレックスに思っていたものは、いつの間にか愛着が湧いて、彼女の愛しい思い出になっていたんだ。

◎          ◎  

最近は、また夢を見つけて、頑張って生きてるんだ。見ていてまだまだ危なっかしいけれど、それもまた彼女らしいなと思う。旅をする人生を歩みたい、とずっと願っていたように、彼女はずっと旅をしている。今までの人生で、彼女の思う通りにならなかったことは無かったように、これからの人生もきっと、彼女は自分の思い通りに人生を進めていく。とても素敵で、美しい道。スイスのモルジュという街で見た、青空と湖と美しい石畳のような、そんな綺麗な道。皆さんもぜひ、彼女のこれからの人生を、期待して見ていてあげてほしい。

彼女は今は不安で真っ暗闇の中にいると思っているけれど、全然そんなことはなくて、ちゃんと前を向いて歩き出している。もちろんそれは今までとは違うやり方だから、彼女も手探りだけれど、たくさんの人たちに育てられて手に入れた知恵と経験のおかげで、今までよりも確実に前進することができるようになっている。だから大丈夫。だって29年間も一緒にいた私が、太鼓判を押してるんだよ。いつまでも可愛くて素直で、楽しいあなたでいてください。たまには息を抜いたり、人に後ろ指を指されない程度にずるいことして、人生を楽しもうね。これからもよろしくね。この世界で唯一の、私自身へ。