彼と話すのはこのときが初めてだった気がする。
中学の修学旅行先が京都で、そこでは男女4人が班をつくって自由に行動する。班はくじ引きで決まったから、彼とは初対面ながら京都で日を共にすることになった。

彼のことはよく知らないけど、おしゃれなイメージがあった。指定のブレザーに少しアレンジを加えてウエストを絞っていたり、スラックスにサスペンダーを付けていたり、そんな粋な校則違反をしているのは彼だけだった。

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だから、京都で着物を着ようと予定が立ったとき、私は彼に「女性の着物を着てみるのもありじゃない?」と言った。お世辞ではないし、女装をしてほしかったわけでもない。色や柄の種類は圧倒的に女性用の方が多そうだったから、おしゃれさんならわくわくしながら着物を選んだ方がいいと思ったのだ。
彼ははにかみながら「いいね、楽しいかもね」と返した。

彼は当日、その少し長い髪を編み込んでいた気がする。
着物レンタルの店に着いて、私と彼は当たり前かのように女性の着物を一緒に選んだ。店員が戸惑ったような表情をしていて、その顔を見てはいけない気がした。

店側のルールがあるかもしれないから、あらかじめ男性でも女性用を着ることができるか確認くらいとることは礼儀なのだろうし、常識だとは思った。しかし、訊ねることができなかった。

彼は男子更衣室に女性の着物を持って入っていった。着付けをしてくれた店員とどんな会話を交わしたのか、私は今でも知らない。だが、彼はあのやわらかい笑顔で更衣室から出てきた。

彼が多目的トイレを使っているのを見かけたのは、それからずいぶん後のことであった。

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高校にあがってから彼を思い出す出来事があった。隣のクラスの男の子が女子生徒からスカートを借りて登校した。すぐに先生から注意があったらしい。おふざけではないことなんて、みんな分かっていたと思う。女子生徒は入学時にスカートとスラックスのどちらを選択してもよくて、どちらも購入した子もいれば、スラックスしか買わなかった子もいる。しかし、男子生徒はスカートを購入できないから、スカートを履くには女子生徒から借りるしかない。

先生の主張は「物の貸し借りを認めることはできない」であった。教科書を忘れた私に対して、ほかのクラスの生徒に借りておくべきだと叱ってきたのに。

だから、彼もスカートを履きたかったのかな、なんて考えざるを得なかった。
それは、彼らに奇妙な視線を向ける大人たちを目の敵にしていた自分も、大概なのかなと思うきっかけでもあった。
「いつからそうなったの?」「誰にどんなことまで話したの?」「スカート履きたいなってやっぱりうらやましく思うものなの?」そんな思考ばっかりが巡る。これは純粋な疑問なのか、奇妙な視線に属しはしないのだろうか。

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「私もいつかそうなることもあるのかな」

こんなセリフは、色メガネをかけている証拠として充分すぎるだろう。
他人の気持ちなんて分かりっこないのは誰に対しても同じなのに、性別に関して共感できない気持ちを持つ相手には異常に神経質になっている。これは、あの大人たちも、私も。

肌身で感じるだけなのにマジョリティの自覚を持つ者は、そのしょうもなさに気がつかないまま自分のことを棚に上げていて、そんな態度の変容が癪に障る。

だが、今の私はきっと彼に女性の着物を勧めることはできない。触れづらい話題だと回避してしまう気がするのだ。彼がおしゃれさんなのはずっと変わらないのに。触れづらいと感じてしまうのは、店員の顔を見られなかったあの時から続いていたのだろうか。

色メガネをかけていることに気がつくには、自分は偏った考え方なんてしていないという決めつけ、言わば自身を映す色メガネを疑うことから始まるのだ。