なぜ私が選ばれたのかがよくわからないまま、とんとん拍子に決まった派遣先。
そこは、大手商社だった。
大手商社への憧れみたいなものもあったはずなのに、入社してみると、いままで働いてきた会社とは違うハイスペックと思われる人たちに囲まれている感覚が、居心地悪いと感じてしまった。
ここを選んだのは自分なのに、その社名に、その環境に、わくわくしつつも私にとってここは場違い……そう感じ始めていた。

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仕事の中でも常に勉強していたり、当たり前に英語の文書でメールのやりとりをしたり、海外出張で疲れているはずなのに、翌日には疲れた表情も見せずに出社していたりする。

世界を股にかけて飛び回る商社マン。

何となく想像していた商社マンのイメージ。そのイメージがかっこいいと思っていたものの、実際にその場に足を踏み入れた途端に、彼らの頑張りやひたむきさなどに気圧されて心が苦しくなった。
ちゃんと休んでるかな?しんどくないかな......?と、勝手に心配になって、勝手にしんどさを創り出し、私の肩にのしかかる。

自分に対しても、周りに対しても偏見という色眼鏡をかけてしまっていたのだろう。
眼鏡どころじゃなく、手術でもして、眼球にレンズを埋め込むほどのやつを。

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年齢的にも自分のスペックを低く見積もり、「できない」ことに目が行きがちになり、そんな自分の自信のなさへの劣等感が湧きだす。反面、もっとできるはず、彼らにできて私にできないわけがないという想いも、心の奥の方に存在する。

初めての環境や初めての業務内容もあって、嫌いじゃないはずの英語に、あっぷあっぷと溺れそうになっていた。

周りは見渡す限り高学歴のハイスぺな人たちばかり。
あちこち飛び回り、聞いたことのない金額の仕事をしている。

「できる」彼らと、「できない」私と、勝手にラベリングをしているのは私自身だった。

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高校受験をゴールに設定していた私は、また更になにかを学びに大学に行くとか、考えてもいなかった。高卒でいいと思っていたし、大学なんて本当に学びたいものがないのに行くってどうなの?そんな風に思っていた。
学歴社会という縮図が広がる商社という世界に、縁あって放り出された私はもがく場所を間違えているのだろうか。
それでも、その中で「できる」自分でいたくて、ばしゃばしゃ溺れないように必死にもがく。
溺れないように空を仰いで水に浮かぶことで、呼吸ができる体勢を少しずつ整えている。
溺れないコツは、背泳ぎだ。
いつかのオーストラリアのプール。真ん中に行くにつれて水深が深くなるそのプールで、実際に溺れかけて気付いたスキルがここでも生かせるなんて……。

学歴なんて、それなりにあればいいという想いは変わらないのに、学歴の高みを目指さなかった自分に対しての偏見がきっとどこかにあるからこそ、放り出された世界に居心地の悪さを感じてしまう。
いま周りにいる人たちは、なりたい何かがあって、それを目指してここにいるのだろう。そしていまも尚、なりたい姿に向かって彼らも日々学んでいるのだ。

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たまたまここにいる自分と彼らを比べたってしょうがない。
そして、きっとここに来るために頑張ってきたであろう人たちと同じことを、採用してくれた上司は望んではいないのだ。

後ろ向きに聞こえるかもしれないけれど、きっと事実。
自分が「できる」ことをすればいいし、「できない」なら「できる」ように少し頑張ってみればいい。
周りにいる彼らと同じところに立ちたいなら、もっともっと必死になればいいだけのこと。でもきっと、私はそれを望んでいない。

周りはクロールで泳ぐ人たちだけど、私は隣のレーンで自分のペースで溺れないように背泳ぎをする。
私はそんな自分でいいのだ。

いつしかその眼球に埋め込まれたレンズは眼鏡になり、そしてきっといつか外せるときが来ると信じている。

「できる」と「できない」という葛藤の水面を漂いながら。