私の身体が悲鳴をあげたのは、つい最近のことだ。歩くたびにお腹に痛みが響くような感じ。押すと痛い。もちろん押さなくても痛い。右の下腹部辺り。ということは、盲腸?それってつまり、入院?あぁ、どうしよう。こんなに仕事で忙しい毎日なのに。

そんなことを頭の中で忙しなく考えながら、病院に行くので出社が遅くなることを会社に伝えた。もちろん、この時の私は診察後に出社しようとしていた。別に仕事が好きなわけではない。むしろその逆だ。しかしその時の私にはタスクが山のようにあり、捌いても捌いてもどんどん業務が増えていくばかりだった。仕事が早いことを褒められたことはあるが、人事評価として給料が上がったわけでもない。仕事ができる自分と会社に恨めしさを感じながら、恐る恐る病院へと向かった。

◎          ◎

診断の結果、盲腸ではなかった。検査したところ、痛みの感じ方や痛みを感じる部分が盲腸と異なるのことだった。ひとまず入院は逃れたか…と安心したのも束の間。腸に炎症が起きているとのことで、大量の薬が処方された。それに加えて「無理をしないこと」という先生からの忠告も。

思い当たる節はあった。というより、「仕事のストレス」しか思い当たらなかった。社員の数が少なく、役職者が全くいないことで、新人育成や幹部補佐、それに加えて外部とのやり取りなどをいつしか私が担当することになっていた。もちろん数字はこれまで通り追わなくてはならない。もっと言えば私は役職に就いているわけではないので、給料は入社当時と一切変わっていない。手当も何も無いなかで、遣り甲斐なんてものは全く感じることができず、忙しさに追われ休憩もとれず、残業続きの毎日に絶望していた。

上に相談しても「仕事量は自分で調整していいから」と言われ、「それが出来ないってアンタが1番知ってるでしょ」と何度も心の中で叫んだ。広告業界に憧れて入社した今の会社。しかし、実際は自分が憧れていた形での広告制作ではなかった。むしろ、自分が1番苦手としているジャンルの広告であると気づいたのは入社後のことで、「気づくのが遅かった」とその時深く後悔したのだった。

歩くたびに痛みが辛いと会社に伝え、一週間の休みをとることになった。会社からは「そこまで身体を追い込むほど色々やっていたんだね…」と言われたが、肝心の謝罪の言葉は一切無かった。悪いことなど何もしていないという考えなのだろう。腸は煮えくり返っているが(言葉の通り腸に害を被っているわけだが)、せっかくなので、これまでとこれからを考えることにした。時間は一週間もある。誰も私を責める人間はいないのだから。

◎          ◎

とある広告のキャッチコピーに心を奪われて、広告業界に憧れるようになった。昔から本を読むこと、文を書くことが好きで、自分の力を試したいと思い切ってチャレンジした。いくつか会社を受ける中で、前職では広告代理店の事務として働き、その後は引っ越しに伴って今の会社で広告の制作をするようになった。

最初はマーケティング心理学やライティングのスキルを学べることに楽しさを感じていた。しかしそれはいつしか消えていった。今となって無いに等しいほどに。「オマージュ」という言葉を上手く使って、他のアイデアの横展開する繰り返しに反吐が出そうな毎日。アイデアとアイデアのかけ合わせで新しいモノが生まれるのは知っている。でも私が望んでいるのはこういうことではない。その人たちにしか生み出せないモノだからこそ、広告は尊く美しいということを、私はずっと前から知っている。広告が好きだからこそ、今の仕事が自分に合っていないことにも気づいていた。毎日沢山書くことに疲れていた。「私は一体何を書いているんだ?」と自分に問いかけながら。

◎          ◎

しかし不思議なもので、この休み期間中、久々にかがみよかがみのエッセイが書きたくなった。忙しさに追われ、投稿することから目をそむけていたような半年以上の月日を無視して、私は自分のPCを開き、毎晩1本ずつエッセイを書き始めたのだ。書く前には夜中の1人散歩をして、これまでの自分と向き合い、テーマに沿って頭の中で内容を考えた。このエッセイもその一つだ。冷たい風が頬をかすめる度に、心の中は自分の思いで温かく満たされていくようだった。自分の好きなように書ける時間、内容。別の名前で書き始めたコロナ渦から、わたしはかがみよかがみに「書くこと」で救われてきたのだ。書くことに苦しめられているのに、書くことに救われている。なんとも言えない感情が、この文を書いている今も、私の中でうごめいている。

◎          ◎

このまま綺麗に収まるのならば、「書くことが好きだと気づけたのだから、今の仕事でも頑張って書き続けよう」となるのかもしれないが、私の場合はそうはならなかった。エッセイを書くことで心を救われた私は、もうあの「オマージュの世界」には戻りたくないと強く感じた。「私たちだからこそ、私たちにしか書けないことがある」と感じる自分を知ることができた。自分の武器は書くことだと再発見できた療養期間。絶望の中でも光が見えた瞬間だった。

次の仕事は何にしようか。たとえ文を書く仕事ではなかったとしても、少なくとも今よりは楽しめるはずだ。だってこんな状況でも、自分の「好き」を見つけられるほどに、私は強いのだから。