片道切符でここまで来た。
iSQUAREの前で立ちすくんでいた。
働き口だけを握りしめて、スマホも持たず、スーツケース1つで香港へ来たわたし。

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20代半ば、外へ出てみたかった。ショートステイではなく、見知らぬ地で生きてみたかった。

望みがかなって、香港へ来た……はずだった。
知り合いはあまつさえ、友人も家族もいない場所で生きること。その厳しさを目の当たりにした。
毎日、毎日、不安と寂しさと孤独と隣り合わせだった。独りぼっちだった。誰かと冗談を言って笑いあいたかった。誰かが背中をさすってくれたら、いつでも嗚咽が漏れそうだった。

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1カ月後、自分へのごほうびに回転寿司へ行った。香港でもお寿司は大人気だった。給料が安く、お財布が心許なくて、大好物のサーモンと他に数皿を食べて、最後においなりさんも食べた。おいなりさんを一口食べた瞬間に思わず涙があふれた。おいなりさんはわたしにとって母の味だったのだ。

それから1年後、香港空港へわたしの見送りに5人の友人が来てくれた。

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帰国から約10年、毎年数回ずつ香港へ通う人生が待っていた。
米線を食べる横顔に、115番のバスに乗るために走る後ろ姿に、当時のわたしが映る。
その姿が今ここにいるわたしを鼓舞するのだ。必死に生きた香港での日々が、わたしに力を与えてくれる。
また香港でパワーチャージをするために、日本で頑張るのだと、帰路につく香港空港で毎回誓う。