面白いことをやってやろう。そのエネルギーがある限り、私たちは大丈夫

昭和に育ち、平成に働き、令和に惑う。去年からまた学生を始めて今なお人生迷い中。迷い中とは、人生折り返し点と言われる年齢になっても、まだ新しいことができると思っているということだ。私たち世代の女性の強いところは何だろう? 根底に、打たれ強さと楽観主義的な考え方はあるのかもしれない。
バブル時代を少し知っている。私は教職に就いたため、一緒に大学卒業した女子がアフターファイブに巨大ディスコで踊っていると聞いても、給料は一定で羽振りのよい生活とは無縁だった。そして大学時代の男友達は就職活動で内定をもらった会社をいくつか蹴って本命に行き、「それなりの年数勤め、仕事で成果を挙げて役職に就く、家族と自分の城となるマイホームを持つ」なんていう人生設計を語っていた。男女雇用機会均等法はあったが、一般企業で男女の就ける職種もそれに伴う給料も完全に同じではなく「女子はお茶くみ、コピー取り」という言葉も生きていた。前向きな考えの女子がいても待遇に線引きがあり、だから私は男女で給料の差がない公務員を選んだのかもしれない。
若かった私は、授業準備や生徒指導、とにかく教師であることに気力と体力を注ぎ込み、「今日一日がんばろう」と日々生きていた。生徒と「ねえねえ…」とちょっとした会話で触れ合うのは楽しかったし、自分の職業選択に後悔はない。でも基本不器用で、時に夜遅くまで会議が続く生徒指導案件などで嵐のような環境に振り回されてしまったため、「仕事も家庭も両方持てたらよかった」という気持ちもある。それは贅沢と言われた時代だった。男性は仕事と家庭の両立にあまり悩まず結婚するだろうが、女性は悩む。「子どもを持ちたくても持てなかった」という屈折した気持ちを持ち続ける私だが、仕事を離れた時は人前で声を出すのが好きだった。例えば朗読。すっと気持ちが解放される。
先日、とある家庭的な居酒屋のオープンマイクに行った。オープンマイクとは、通常は音楽ライブができるようなスペースでイベント主催者に参加費を払い、1人10分から15分程度、ステージで音楽その他のパフォーマンスを披露する自由参加の企画だ。でもその居酒屋には、ステージセットがあるわけでもなく、カウンター脇の幅1.5mくらいのスペースが「ステージ」だった。皆生声とアコースティック楽器でパフォーマンスする。女店主は気さくで気配りの人。ニコっとされるとこちらも思わず笑顔になる。から揚げとか、焼き魚とか、何を頼んでもボリュームたっぷりのおふくろの味。彼女の店で、お互い「温かく見守って」と集まる人の一夜限りのファミリーみたいな関係が始まる。ギター弾き語り、ピアノ弾き語り、朗読、一人芝居、ボイスパーカッションなどなど。
私は即興朗読をした。お題が「おにぎり、大谷翔平、満月」ですって。おにぎりを食べて夢を語り、大谷翔平みたいに月まで届くホームランにしたいよね、みたいなシーンが浮かび物語にした。話すうちに、脳内に静かな波がやってきて胸が高鳴る。
席に戻り、たまたま集った同世代女子で話をした。福祉施設だったり民間企業だったり、同じように仕事の傍ら趣味を夢中でやってきた歌手や役者。一人で頑張るって、それなりに苦しいことや寂しいことはあるよね。仕事のこと、世の中のこと、好きなもののこと、次はどんなパフォーマンスする? もっと違う自分になれるかな? ああでもないこうでもないと愚痴も出るが、基本努力すれば自分も社会もよくなるだろうという楽観的な考えが三人の共通点だろう。「そう、そう」と共感して力が湧く。今もって何かに挑戦したい、目の前の未来をちょっと明るくしたい、面白いことをやってやろうというエネルギー。それがある限り、私たちは大丈夫。一人でも一人じゃない。いろんな場所で世代を越えて繋がれる気がする。40代、50代になってまだ未来を夢見られる。そして、若手のいい声に拍手する。それが私たちの強いとこ。
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