仕事で、一度だけ香港に行ったことがある。秋なのに、ものすごく暑かった。イミグレーションで止められてパスポートを取り上げられて憤慨したり、夜遅くにタクシーを探したり、とにかく体中がクタクタになっていた。

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なんとか乗ったタクシーでホテルへ向かう中、窓の外の夜景を見つめた。真っ暗な中に輝くネオンが目に刺さるように眩しかった。とにかく疲れて、なんか悲しくなってきて、何故か涙が出そうになったし、それ以上にまず眠りたいと思った。だけど眠るうちに知らない場所に連れて行かれたら怖いと思って、眠れなかった。次の日空港に行って、私は日本に帰る。香港に滞在するのはほんの数時間。窓の向こうのネオン街は、すぐ近くなのに、とてつもなく遠く、夢の中にしかない景色のようだった。

写真を撮ろうと思ったが、この景色を小さな四角の中に収めるのはもったいない気もして、結局撮らなかった。
ネオン街を見ていたら、何か話したくなった。この場所で黙っているのは、なんだかもったいない気がした。悲しさも寂しさも、話せば消える気がしたのだ。運転手に普通话で話しかけると、訛りのある普通话で返してくれた。出張で来たとか、初めて香港に来たとか、明日もう日本に戻るだとか。まるで親に話すようなことを、見ず知らずの運転手に話した。

運転手は、「次は観光で来て。楽しい街だし、美味しい食べ物もたくさんある」と言ってくれた。はい、と答えた。こんな疲れた体で香港の夜を過ごすのはもったいないと思った。ネオンは変わらずギラギラと光っていて、美しいな、と思った。

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早く約束を果たさないといけない。運転手への「はい」を現実にするためにも、私の「もったいない」の氷を溶かすためにも。