まともだと思ってきた人生を客観視したら、変なことばかりだった

昨年末の大失恋を経て、私は大きく変わった。自分の人生を客観的な視点から見ることができるようになり、自分の人生は変で面白い人生だと捉えることができるようになった。
私はこれまで、真面目にそこそこの高校、そこそこの大学に通って卒業して、趣味に没頭して、多くの友人に囲まれて過ごし、いわゆる「まともな人生」を歩んできたつもりだった。
小学生の時に通った塾では、「オバタリアン」という謎の女子井戸端会議に毎日参加していたし、中学ではブルーベリー畑で木を挟んだまま大勢の前で公開告白されてブルーベリー狩り恐怖症になった。
高校では推しのデビュー発表をスマホの通知で知って授業中に泣き出し、クラス中のぎょっとした目線を浴びた。大学では、バイト先の社員さんが好きすぎてダイエットにいそしんで、出勤のたびにハートしてください!とファンサを求めた。
社会人になり、勤務中に鼻歌を歌う上司、会議中に寝てしまう上司、“燃やす!”が口癖の上司、誰が見ても変わり者に囲まれて一緒に働き始めた。そして昨年末の5股男相手の大失恋。
これらは、今振り返ってみるとかなり変で笑えるな、と思えるけれど、その時その時の私はまあこれが人生ってやつか、と主観的に捉えていた。
だから、悲しいとか苦しいとかマイナスな感情が生まれてしまうことであってもまっすぐに受け止めて、大きなダメージを心に負ってきた。でも、失恋を励ましてもらう中で友人から、「なんでそんなに変なことばっかり起こるの?みのむしの話はいつも変だし面白い」と言われ、気が付いた。
もしかして、私の人生面白すぎる…?世界中のおもろ人種ランカーのトップを走っているのでは…?
これに気が付いてから、身の回りで起こることに対しての捉え方が変わった。
まず、昨年末の大失恋の相手5股男をいまだに引きずっていることについて。会いたいなとふとした時に思って切なくなってしまうし、情けないなあとは思うけれど、5股してきたテクニックにはまってしまって、いまだに引きずっている私って十分面白い。
というか、そもそも5股している人間はそうそういないから出会ってしまった時点で面白い。そう思ったら、5股ってなんだよ爆笑大爆笑!という気持ちが生まれるようになった。以前の私は本当に毎日涙を流して失恋のショックに耐えていたから、笑えるようになっただけでも十分な成長だ。まあ、たまに泣いてしまうのだけれど。
次に、この失恋がきっかけで、人生で初めてマルチ勧誘にあったことについて。振られた!と嘆く私を、元気出しに行こう!と飲みに誘ってくれた2年くらいお世話になっていた美容師さんに勧誘された。
「みのむしちゃん、いい男を捕まえるためにはいい女、お金がないと!この人のセミナーいつもは1万円なんだけどね…」と言われた。失恋で弱っている所につけこんで勧誘するなんて本当にタチが悪い。でも、私は瞬時に「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!これがマルチってやつか!」と2chのテロップのように字幕を流して笑ってやり過ごすことができた。
こんなにダイレクトなマルチ勧誘なんてそうそうされるものではないから、ある意味引きが良い。なんて面白いんだ。以前の私であれば、私のことを見守ってくれていると思っていた人に裏切られたショックで悲しい気持ちになっていただろう。着実に成長している。
そして、最近のマイブームである読書を目的にブックカフェに行ったところ、横の席にいたおじさんから声をかけられたことについて。「よく本読まれるんですか?」と声をかけられ、どこに住んでいるのか、おすすめのカフェはあるか、などの典型的なナンパにあった。
これだけならほほえましい話であるが、なんとその人は「愛とセックスと~」というタイトルの本を読んでいた。以前の私なら、私をそういう目で見ていたのかもしれない気持ち悪い、とだけ思っていたと思うが、今の私はそれに加えて、また変な人引き寄せちゃった草、これもおもろエピソードに加えたろ、と思うことができた。
私の周りで起こる出来事は9割9分9厘変で、客観的に見てみれば面白いと捉えられることばかりだ。
これに気が付くことができた私は、これから辛くて心が痛むことがあっても、時間がかかったとしても、なんとか面白エピソードとして捉えなおして乗り越えられる気がする。私は弱虫な自分を少しだけ卒業して、少しだけ強くなった。
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