一回り年下の同級生、かなちゃん。

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今から28年前、私はW看護大学の第5講義室に座っていた。
教壇では医学部の教授が解剖生理学の講義中である。

しかし。立て板に水のようなスピードで進む講義内容はちんぷんかんぷん。
恐らく聴講の学生全員が同感だったと思う。

2時間枠で次々に講義が入っており病理、解剖、薬理などは姉妹校の医学部から講師が派遣されていた。が、はっきり言って医学生と同レベルの講義は酷であった。

看護大学生と言えども入学したてで医学用語は不慣れだ。まして私は異色の31歳主婦学生。
一念発起して入学を決めたが周りの学生とはなじめず授業はさっぱり分からず、こんなことでは落第、退学だろうと暗い気持ちだった。ホワイトボードに書かれた英語混じりのミミズのような文字をノートに取ることすらむなしかった。

解剖生理学のテキストは厚さ約3センチ、浅漬けが作れるほどの重さだった。
人体の成り立ちと機能を髪の毛1本から全身にわたって学んでいくのだ。
濃くて当たり前、難解で当たり前、学ぶ努力を要するのは当然のことだ。
しかし私たちはまだその現実に気づかずにいた。

特に私などは15年ぶりの勉強、元来勉強嫌いでもあり2時間の講義は「忍耐」でしかなかった。愚痴を言い合う友人もなく15時30分の終業チャイムと共に重いカバンを下げてとぼとぼと校舎を出たものだ。

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そんな日々が2か月ほど続いただろうか。早くも前期試験が迫ってきた。最も難解な解剖生理の教授は相変わらずの調子で講義を進め、時間ピッタリに帰って行った。
私たちは皆、憂鬱だった。と同時にいら立ちや怒りも沸いてきていたと思う。

その日、特別に解剖生理学が2コマ、つまり午前中ずっとその講義に当てられていた。
普段通りに講義は進んでいたが突然、バーンと机をたたく音がして
「ぜんっぜん、分からない!」という大きな声が響き渡った。
何事かと空気は凍り付き、ドラマのストップモーションさながらに講義室は静まり返った。
声の主はかなちゃんだった。

かなちゃんは入学式の日から目立っていた。宝塚の男役のような派手目の美人顔にグレーの細身パンツを着こなし、人目を引いた。
そのかなちゃんが皆の気持を叫んだのだ。実際は2~3分の沈黙だったろうか。
解剖学教授は見た目も怖そうで取り付く島もない感じの人だと思っていたので「あああ、やってしまった、こんな非常識なことをしてかなちゃんはきっと停学処分だ」と思った。

30代後半とおぼしき男性教授はホワイトボードから私たち学生の方へ向き直り言った。
「…そうですか。分からない、そうですか…」かなちゃんは立ち上がったままだ。
「座れ、座るんだ」と固唾を飲んで見守った。
やがて教授が「それは申し訳ないことをしました」「次までに講義の工夫を考えます。しかしなにしろ、内容が多い。大変なんです」と思わぬ紳士的な対応だった。

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かなちゃん、あの時、あなたはどんな顔をしていたんだろう。
今も思い出してくすっと笑う。きっと眉がきりきりと吊り上がって、あなたはとても美しかったんだろう。

次の週、教授は自作のレジュメを配ってくれた。
思えば教授はまじめでまっすぐな人だったのだろう。膨大な学習内容を決められた時間内に消化することは大変なことだ。私たちはその現実に気づき、中学高校とは違う自己学習に励む必要があったのだと思う。

このことをきっかけに学生同士の交流が進んだ。

「かなちゃん、やったね、ありがとう!」
かなちゃんは「いやあ、私、こんなやつだから」と照れ笑いしていた。
彼女たちと過ごした日々。
追試験に泣き、学園祭ではじけ、病院実習で絞られ…。
やがて看護師国家試験。私たち1期生は80名全員が合格した。W看護大学の国家試験合格率は100%という快挙。

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そして迎えた卒業式。
病院関係者が多い式なので大学側からは事前の打ち合わせも言われたが、卒業旅行にバイトに引っ越しにと忙しい我々はそれを断った。
「当日のプログラム確認で大丈夫です」と。
式開始の30分前にプログラムを頭に叩き込み80名全員そろって無事、卒業証書を受け取った。学生部の先生が「君ら、ここぞと言う時は決めるなあ」と笑って言った。

かなちゃん、元気?
今年、私は退職だよ。あの日のことずっと大事にしてるよ。
あなたの強さに憧れて、いつの間にか私たちも自分をしっかり持つことの強さを身に付けたと思う。わたしたちの強いとこ、はずっと変わらない。