くだらなさで満ちた一瞬を永遠にとっておきたかった、あの頃の宝石

学生時代の飲み会からの朝の帰り道は、どうしてあんなにすがすがしさと重たさのちょうど半分こなんだろう、と思う。
日をまたぐ前の健全な夜の時間に飲んだアルコールは、とっくに飛んでしまっているし、くらくらとする頭のけだるさは明らかに眠気からくるもののはずなのに。それなのに、一歩外に出れば、どこまでもどこまでも歩いていける気がした。
シラフならぜったいに歩こうと思わない距離を、友達やゼミ生や後輩や先輩とほんとうにくだらない話をしながら歩いた。街がそっと寝息を立てるような時間帯に、小声でぐりこをしたり、じゃんけんをしたり。耳の奥にさっきまで流れ込んでいた「DAMチャンネルをご覧のみなさんこんにちは」の横文字アーティストの声や、ぼんやりと耳に残る宇多田ヒカルの新曲にまぎれるように、このくだらなさで満ちた一瞬をまるごと永遠にとっておけたらいいのに、と思った。
夏の日の朝に近い夜の空が、うすむらさき色をしていること。その不気味さと軽やかさのバランスがまた格別に美しいこと。肌寒いのに、頬は熱いこと。手指がひっそりと冷たいこと。
話したいことが次から次へと浮かんでは、別の話題になっては途切れて、意味わかんない、と帰り道が同じもの同士で笑い合うこと。じゃりじゃりと音のするアスファルトの湿り気を踏みしめる足がたしかに重たいこと。普段は人であふれて活気づく場所が、からっとした静けさのなかで、朝練のアイツはまだ来んのか、とあくびをしているように見えること。
シャッターの下りているパン屋さんから朝がはじまっている音がすること。何時に起きて、どこへ向かうのか想像もつかないおじさんが運転する1台の車がゆるやかなスピードで自分たちの真横を通り過ぎていくこと。さっきまであれほど飲み放題だったドリンクバーのウーロン茶をもういちど飲みたくなること。
こんなにどうでもいいようなことを、やっぱり忘れたくなくて仕方ないと思うこと。
loveもlikeも関係なく、これまでそばにいた人が、またひとり、またひとりと、それぞれのアパートへ途切れていく別れ際が擦り傷みたいに痛いこと。この時間が永遠じゃないって分かりながら口にする「ばいばい」「おやすみ」のあとに続く「またあとでね」の軽やさが何よりも尊いこと。
ぐわんぐわんと言葉と音が巡る頭では、すぐに眠れないこと。朝方のシャワーを浴びてしばらくすると、意外なほどするりと眠気がやってくること。いつもなら眠って朝が来れば、今日は今日だと思えるのに、こんな日ばかりは“その日”をどこかに置いてきてしまった気持ちになること。
身体の芯が冷えていること。自分の部屋のベッドが何よりも心地良いこと。窓から差し込む白い光が“その日”を“今日”として迎える人たちへ、朝を知らせること。落ちてくる瞼がひどく重たいこと。
どこか遠く、もしかしたらとても近いところで鳥が鳴いていること。
二度と戻れない時間なのは、今この瞬間だって同じはずなのに、エネルギーが溢れる年齢だった頃の夜明けの記憶は、何回取り出しても採れたての宝石みたいで我ながら笑ってしまう。
今はもう朝まで起きていることなんて到底できないし、オールしよう!なんていうノリも存在しない。
けど、もしもこれから先のわたしの人生に明けてしまうのが惜しいほどの夜が訪れたなら、きっと頭をフル回転させて言葉にするんだろう。色や形の違う宝石は、いくつあったって何度触れたって、褪せたりしないことをわたしはこんなにも知っているのだから。
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