入学式、卒業式などの体育館で行われる行事の前には、教職員総出で準備が行われる。
その中で、何度も飛び交う言葉がある。

「男の先生!ピアノを移動しますのでお集まりください」「男性2名ほど手伝ってください〜」

「男性招集」の言葉だ。ピアノや演台など重い物品を運ぶとき、必ず男性が招集される。男性=力持ち、あるいは女性より筋力があり、力仕事を任せられる。そういった理由から、定型文のように現場を指揮する教員の口から発せられる。

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私はその言葉を聞くたびに、複雑な気持ちになる。女性より男性のほうが体力があるということは、生物学的には間違っていないことなのかもしれない。
しかし、性別を指定することで、「女性は力仕事では役に立たない」と言われているような、あるいは、男性が力仕事を担うことで女性が守られている、という構図になっていると感じ、モヤっとするのだ。

「男の先生、ちょっと来て!」

その言葉で真っ先に動く若手ホープの教員がいた。学生時代インカレに出場するほどのスポーツ選手だったその人は、少なくともこの学校では体力ナンバーワンであろう。

わたしは、彼女のことを強い女性だと思った。

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男性限定の呼びかけがされても、さも自分の名前が呼ばれたかのように、当たり前のように現場へ向かっていく。
男性に混じり、重い物品を汗を流しながら運ぶ。仕事をやり終えたら、涼しい顔で、次の指示があるまで若手教員たちと談笑している。
そんな彼女のことがうらやましかった。
彼女のように華々しい成績はないものの、私も彼女と同様に大学までスポーツに打ち込んできた自信から、「男に力で負けてねーぞ」と心の中では意気込んでいた。

男性限定の招集がかかったとき、「力自慢の女子が行ったっていいじゃないか!」と心の中で豪語しつつ、同時に、「力には自信があるけど、足手纏いと思われないか」「変な空気にならないか」…そんな不安が頭の中をめぐり、結局動けなかった。
そんな私とは対照的に、彼女が現場へ向かうときの表情は、一点の曇りもなく、自分の役目をただ果たしにいくだけ、そう見えた。すごくうらやましかった。

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現在わたしは、教員を退職し、別の仕事をしている。彼女のような強い女性は、いない(違った意味で強いなと感じる方はいるはいるが)。
仕事中、たまに「誰か男性お願いします」という声が聞こえる時がある。
「わたし、やります!」そう思っても、第一歩がなかなか踏み出せない。「誰か男性お願いします」じゃなくて、「誰か力自慢の人お願いします」と言ってくれたらな…と、切に思う。

仕事とは別の話になるが、親戚の葬儀でのことだ。葬儀を終え、棺を霊柩車へ運ぶとき、男性の招集がかかった。70歳間近の父親が「若手」扱いされているほど高齢化している親戚一同。おじいさんたちが、一生懸命棺を抱えていた。厳かな雰囲気の中で、「私が行きます!」とは言えるはずがなかった。田舎の葬儀会社である。進行役の「男性の方が棺を…」というセリフが何十年も更新されていないのだろうか。「老若男女、みなさんで、棺を…」これでいいじゃないか。

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自分のことに話を戻す。私が性別関係なく誰よりも秀でていると自信があるのが、虫退治だ。「きゃあ、ごきぶり!誰か!男の人とって〜」その言葉が聞こえたのとほぼ同時に、スポーツで鍛えた瞬発力でティッシュを取り出し、目にも止まらない速さで仕留める(かなり自画自賛の表現だが、きっと間違っていない)

性別関係なく、虫が苦手な人、大丈夫な人、いるよね。なんでこういうことを、男性に頼みがちなんだろう。そう疑問に思いつつ、「性別で限定されるお願いごと」を、「いやいやわたしがやりますとも」と、あの彼女のように、行動することでなくしていきたい。
もうすぐ春が来る。まずは、虫退治から始めていこう。性別を限定する呼びかけがなくなるように。