2022年10月7日。この日、どうしても私は夜明けを迎えることが嫌で仕方なかった。夜が明けたら、20歳になる。もう立派な大人になってしまうことが、切なくて、寝返りひとつうつのも、初めて切なく思えた瞬間だった。

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すごく身体は疲れ切っているし、心も疲れ切っている。心疲れと身体的疲れが重なっていても、眠れないというより眠りたくない夜を、どれだけ越えてきたのだろうか。これは私だけでなく、この世で生きる人々、特に大人に当てはまることだと思う。
10代最後の夜。そう言うと、なんだか無性にカッコよく響くけれど、実際にはとても複雑な心情が混ざり合った孤独な暗闇だったと、今になって断言できるのだ。

当時は、10代でやり残したことはないか、20歳になるまえに最後の悪あがきをしてやろうではないか、といった、何かに立ち向かっていくような強い気持ちもあった。

どうして高校卒業後、髪の毛を染めなかったのだろうかとか、もっと夜更かししておけばよかった、とか、某ファミレスのケーキバイキングに行っておけば良かった、とか。

ほんの些細なことなのだが、19歳の私には、まるで人生最後の夜のように、あれやこれやと事細かな日常の風景が脳裏に浮かんできたのだった。

そんな小さな後悔を、どうしたら払拭できるのか。そう何度もひとり薄暗闇の和室で、ちょこんとスマホをいじりながら考えていた。

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そうしているうちに、私はひらめいた。

そうだ、10代の頃にやり残したことは20代でやってやろうじゃないか!だって私の人生はまだまだ長い。10、20、30、40、50、60、70、80代まで生きるとしても、まだ、やっと20年目に突入するという節目に入ったばかりなのだから、大丈夫だ。

夜長の秋に、ふと夢見ても良いだろう、と開き直ってみたのだった。

それでも、ぐっすり眠って、スッキリと快晴な心で20歳の朝を迎えられたのかというと、本音はそうではない。どちらかというと、うっすらとした明るい光が、ゆっくりと、ずっしりと近寄ってきては遠のいてを繰り返していたように思う。

ああ、本当に人生って不思議なものなのだなあ、としみじみと思う瞬間でもあったのかもしれない。

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昨日までは19歳でいられたのに、日付が変わった瞬間に、20歳の人生がスタートし、世の中がガラッと変わったように感じた。実際の世の中は、私が20歳になったからといって、景気がグーンとよくなるわけでもないし、コロナが一切合切なくなるわけでもない。

それなのに、こんなにも私はなぜ孤独な夜明けに挑んだのだろうかと、朝ご飯を食べているときに冷静に考えるようになった。

年齢って人を幸せにさせたり、時にがっかりさせるもの。20歳になったばかりの私は「若い、若くない」と言われることへの目に見えない恐怖のようなものを感じ取っていたのかもしれない。

そして、成人式など行きたくない!と意地を張っていたので、21歳になるまで、私は若者らしくない静まりかえった夜を過ごすことになったのだ。お酒は飲まない、たばこは吸わない、男遊びなどせぬ。いや、したくなかった。まったく、そうした若者の象徴のような遊びをやり通して、朝を迎えるなんていう生活を嫌悪していたわけではないが、ほんとうに興味が湧いてこなかったのだ。

そのせいか、とても規則正しい生活を好んでいたし、もしかすると私の朝の迎え方はお年寄りよりも、静かで平穏なものであるとも思えてくる。

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明けない夜はない、必ず朝は来る。
気づけば呪文のように、ところどころで耳にするようになっていた10代後半。

20代前半を迎えた今でも、この呪文とはなんだか上手く付き合えないような気がして、私は勝手に焦り始めている。それでも、また新しくやってくる朝に、今度こそ微笑みかけてみようと思う。