私達は多くのことを乗り越えた。姉の、世界に一人の妹になれて幸せだ

幼い頃の私から見た姉は、明るくあっけからんとして、おしゃれが好きで、背が高く、私の憧れだった。四つ年上の姉のあとをいつも追いかけていた。
アイスクリームショップに行き、姉がキャラメルのフレーバーを選べば私もそうした。朝食の食パンをこんがり焼く派(ほぼ丸焦げ)の姉。それを頬張ったときのザクっとした音がとてもおいしそうに思えて、私も真似をした。焦げた表面が苦かったけれど、それすらも姉に近づけた気がして、思いっきり音をならして食パンにかじりついた。
姉が友達とプリクラを撮りにショッピングセンターへ出かける時には、私も一緒に連れて行ってもらった。私を真ん中にして三人でプリクラを撮った。今考えると小さい頃の私はなかなかに図々しい。大人の私も見習いたい。プリクラはシール帳の表紙に、お気に入りのシールと一緒に貼った。何でも真似する私に若干あきれながらも、なんだかんだ世話を焼いてくれる姉が好きだった。
私が小学校に上がってすぐの頃、両親が離婚した。夜な夜な繰り返される両親の口論は、姉と私が眠る子ども部屋にまで声が響くほどだった。大人になった今も時々思い出す辛い記憶。二段ベッドの下の段で、布団にくるまって耳を塞ぎ、はやく朝が来ないかと必死に願った。
私が泣いているのに気がついた姉が、二段ベッドのはしごを下りて私の布団に入ってきた。ぬくもりと安心が広がる。無邪気に笑って何かをつぶやく姉。泣くのに必死だった私はそのときの言葉を思い出せないが、その表情が優しさに満ちていたからどんな類の言葉だったのか簡単に想像がつく。私は安堵に包まれていつの間にか眠ってしまった。
私は中学生になり父と姉と三人で暮らしはじめて随分たち、それがもう当たり前になっていた。父は都内に働きに出ていて、私が目が覚める時間には家を出て私が眠る時間に帰宅することも多かった。
姉も高校生になってからアルバイトや恋人や友達との予定で忙しい日々を送るようになり、私は学校から帰ってきて一人で家にいる時間がほとんどだった。
当時はまわりの同級生の友達が、両親が当然いることが、ただただ羨ましかった。思春期真っ只中の私は、淋しさとやり場のない気持ちから父と姉にひどいことを言ってしまったり、冷たい態度をとってしまう事も多かった。大好きだった姉ともなんとなく距離を感じるようになった。
しかし言葉を交わすことは少なくなったけれど、そんな中でも姉からはいつも優しさを感じていた。
私が入っていたテニス部の中学最後の試合の朝には、玄関にスポーツドリンクが置いてあったし、高校受験の日には合格祈願のお守りを何を言うでもなく渡された。
私が大学生になった頃、姉は家を出た。精神を病んで仕事をやめた父と金銭面で揉めたことが原因だ。それからすぐに私も大学を中退し、姉と同じ理由で家を出て一人暮らしを始めた。姉とはぱったりと関係が途絶えた。
再会したのは数年後の父の葬式のときで、その時の私たちは言葉を多くは交わさなかったけれどさまざまな感情を共有した気がする。
私の姉は、柔らかな優しさと前を向く強さをもっている。だけどその日初めて姉の弱さを見たように思う。私と姉は色んな感情が湧いてきて、一緒に少しだけ泣いた。
子供から大人になる過程で、私たちは多くのことを乗り越えた。両親の離婚や、父の死や仕事や恋愛や多くのこと。気がつけば確かな強さを纏っていた。そんな姉の、世界に一人の妹になれて私は幸せだ。大人になった私と姉で、キャラメル味のアイスクリームを食べに行こうと思う。
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