絶対的だった母の存在。そのフィルターは自分を見つめるキッカケに

「あなたにとって、お母さんはどんな存在?」
このように問われたら、世の中のひとや友人はなんて答えるのだろう。頬を寒風がなでる冬の早朝、私はふとそんなことをぽつり、考えた。
私は栃木県の片田舎の出身だ。新宿駅から高速バスに乗って地元に帰省すると、都会のビル群があっという間に消え去る代わりに、命の輝きを宿す鮮やかな青色の田や、焦げ茶色の畑が、昭和の残り香を漂わせる点々とした民家とまじってくるのが見えてくる。なだらかに広がるその風景は、穏やかな懐かしさを浮かばせる一方で、都会と地方の厳しい格差を感じさせる。
私はそんな田舎で、士業の小さな事務所を営む父と、その事務所を懸命に手伝っている母のもと、二歳年下の妹とともに育った。母は私と違って、性格は明るく、物事をはっきり言うひとだ。一方で、小物や洋服を選ぶセンスや、根本となる繊細な考え方は私もよく似ていて、双子の片割れのように感じるときもある。
幼少期から人一倍大人しくて、人見知りだった私にとって、母は私の全てだった。
さらに、私は幼少期から他人の顔色をうかがってしまう子どもだったように思う。幼稚園生のとき、先生や友人がピリピリしていると、「怒らせないように気をつけなきゃ」と、ぴいんと糸を張るように、息をひそめていたのを覚えている。
小学校にあがっても、中学生、高校生になっても、その傾向は続いて、友人にも、つい必要以上に気を遣っていた。
「嫌われないようにしなくちゃ」
「皆に好かれないと」
その思いは重いタールのように、じわじわと心の中で冷えて固まっていった。そんな私は自己肯定感もとても低くて、自信が持てず、自分のことを到底好きになれそうになかった。
そんな私に、決断力や判断力が身につくはずはない。実家を離れる大学三年生まで、私は母の決断が絶対的に正しいのだ、と思い込んでいた。母の言うこと、考えることは私にっての正義であり、真理であり、清らかに安心するものだったのだ。
そんな私が大学三年生になって、ひとり暮らしをするようになってから、それは真綿の雪のように崩れ去っていった。ひとり暮らしをすると、今日食べるものから、掃除や洗濯、アルバイト先の悩み事など、日常生活におけるささいなことを、自分で完結しなければならない。
そのとき同時に、就職先や就職活動を決めないといけない、という背景もあり、私は焦ってもいた。自分を見つめて育ててこなかったゆえに、やりたいことが見つかるはずもなく、私は夜道を歩くかのように、将来への決断を迷ってしまった。私はその選択肢の多さ(自由とも言い換えられるが)に、へとへとに本当に疲れ切ってしまったのだ。
やがて鬱っぽくなり、摂食障害を発症してしまったのである。
ここで思い出したいのは、私は色メガネをかけたまま母にずっと接してきたということだ。母の言うことは絶対的に正しく、逆らってはいけないという、呪縛のような色メガネ。
一方で、私は摂食障害になってから、カウンセリングなどを通して、自分の弱さや嫌いな面、好きなところや自信を持てるところはあるか、など、身体測定をするように、ちょっとずつ自分と向き合い続けた。
そして涓滴のように、しずかにそれは心に降り注ぎ、私は自分のすることに自信を持ち、はっきりと意見を述べられるようになったのだった。
私は新社会人になるにあたり、今年の春から実家に帰省することになった。今までは、母というフィルターを通して自分を見つめていたけれど、今は違う。母に自分の意見を言うし、嫌ということは嫌と言える。母との間には、自立した、心地よい雰囲気が流れていると思っている。だから、実家での生活が楽しみだ。
これからは、自分で舵をきちんと取れる、そんな人間になっていきたい、そう思った春である。
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