彼と出会った頃、私はいつも体調が悪かった。実は、妊娠したのだ。

食べづわりと吐きづわりが両方来ることによって、食べないと気持ち悪くなるし食べ過ぎたら吐いてしまうという、過食嘔吐のような状態になっていた。その上、安定期に入るまでは流産の可能性に怯え、想像していたマタニティライフとはほど遠い苦しみの日々を送っていた。ままならない自分の身体が憎かった。

そんな状態で仕事もほとんど休んでしまい、ただ耐えるだけの生活があと半年以上続くのか……と私は大変気が滅入っていた。妊婦健診以外に外出する気も起きず自宅のソファに寝そべって1日が終わる。健診のタイミングで赤ちゃんの成長を知ることだけが喜びで、時間が経つのがあまりにも遅かった。

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しかし、そんな憂鬱を吹き飛ばす出来事が起こった。推しに出会ったのだ。

漫画の登場人物である彼は毒舌でありながらピュアで、素直になれない彼の姿に私は激萌えした。彼が出てくるBL漫画を読むことがライフワークとなり、SNSのアカウントを作り彼のオタクが描く二次創作を読みまくった。久しぶりに楽しい気持ちを味わった。

彼の誕生日には作品の聖地・蒲田まで出向き、誕生日イベントに参加した。そして、お祝いと称してもう持っている単行本を買いまくった。私が払ったお金が彼の誕生日イベントを盛り上げることで、来年もイベントを開催してくれると信じて。

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妊娠してから、私は自我を失っていた。好きなもの、何がやりたいか、自分はどんな人間だったかを忘れ、ただ赤ちゃんを生かすことだけを考えていた。考えても考えなくても赤ちゃんは育つのに、いつしか赤ちゃんが本体で、自分は赤ちゃんを生かすための機械になったような錯覚をおぼえていた。自分の人生を生きている実感が、なくなっていた。

彼への愛をSNSに書き綴っていたら、同じ趣味をもつ友達もできた。同じものを愛する人と語り合うのがこんなに楽しいなんて!話すうちに作品の解像度が高くなっていく。他の人の考察を聞いて新しい発見をしたり、自分でもわからなかった細かい設定などが語るうちに明確になっていくのが楽しかった。

あんなに時間が経つのが遅かったのに、今は推しを追いかけることに忙しくて1日が短い。精神的に元気になったことで仕事も再開することができた。全部彼のおかげだ。

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萌えは胎教にいいし、今は日常の全てに彼がいる。彼と同じくらいの身長の人を見かけたとき、彼に似合いそうな服を見たとき、恋愛ソングを聴いているとき、必ず彼を思い出す。彼の幸せを願うことが私の幸せだ。
ひとりで出かけることすら怖かったのに、彼のためなら私はどこへだって行ける。身体が苦しくても微笑んでいられる。

この出来事を通して、好きなもののためなら自分はどこまででも強くなれると学んだ。まだまだ妊娠期間は続くし、生まれてからはもっと大変だろう。でも、この好きを手放さないうちは私は私でいられる。それが私なりの強さだ。