卒業はきっと良いことだ。卒業とは今までの自分とお別れをして、新しい自分になるための第一歩だと思う。
私は卒業式のようなイベントを経験できる年齢ではもうなくなってしまった。でも、昔の自分と決別し、新しい自分になることが卒業であるならば、人間は誰しも卒業を繰り返す存在なのだと私は思う。
最近、私の身に起きた卒業は他人を羨む気持ちに終止符を打つといったものだった。

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小さい頃から「あの子のほうが算数の点数が高い……いいなぁ……」とか、「あの子はかわいい服を着ることができて羨ましいなぁ……」と他人を羨む気持ちを抱くことが度々あった。
自分の知力や家庭の財力を比較しても何の意味もないことも理解していた。他人と比較することなんて、時間の無駄だなと思っていた。
けれど、やっぱりふとした時に「あの人っていいなぁ……」と羨ましく思った。このような気持ちを抱くこと自体は、誰でもきっとあると思う。

ただ、大人になると隣の芝生がさらに青く見えてくる。

「あの子は第一志望に合格できていいなぁ……」
「あの子は良い企業に就職できていいなぁ。お給料も高いし、福利厚生も充実してる……」
「あの子、マッチングアプリで恋人をゲットしたんだ!いいなぁ……」
「え!?まだ二十代前半なのに結婚するの!?いいなぁ……」
「一人で海外旅行に行くの?楽しそうだね!いいなぁ」

他人と自分を比較しても仕方がないにもかかわらず、イイナイイナ病にかかってしまう。
そしてこのイイナイイナ病にかかると、今の自分自身が置かれている状況を悲観的に見てしまうという負のループに巻き込まれる。
私もつい最近まで、このイイナイイナ病に悩まされていた。

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私は大学院ではアカデミック・ハラスメントに悩まされ、それが終わった後すぐに、次は職場ではセクシュアル・ハラスメントに悩まされてしまった。
環境が変わると、何らかの問題が起こることは覚悟していたものの、二つのハラスメントが次から次へと起こるとは予想してなかった。
ハラスメントをされるともちろん心の負担が大きくなる。周りに助けを求めたとしても、自分が願った通りの結末になるとは限らない。解決に時間がかかればかかるほど、心に不安がのしかかりますますストレスが増えていくという生活が続いた。

こんな状態であれば、正常な判断がつくはずがない。生きることが精一杯で周りのことを考える余裕もない。
でも、このような状況だからこそ、周りの人の幸せなオーラが非常に眩しくなるのだ。自分が幸せではないと自覚してしまっているから、なおさら他人の光が目に染みるようになる。すると、イイナイイナ病にいとも簡単にかかってしまう。

私はこんな状況なのに、あの人たちは幸せでいいな……と。

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でも最近このイイナイイナ病と私は決別した。きっかけは至って単純。
「幸せそうに見える人はそう見えるだけで、本当は大変なところもあるのかもしれないな」という考えが頭をよぎったからである。
目に見える事柄だけを見れば確かに幸せなのかもしれないけれど、その人たちが本当に幸せかどうかは、その人たちにしか判断ができない。他者である私が他人の幸せを判断しようとすることはお門違いなのだ。

そう考えることで、「他人の幸せを考えることなんて無駄なんだなー」と気持ちが軽くなった。

イイナイイナ病から解き放たれた今、新しい自分としてまた一歩進むことができたような気がする。