若さの神様よ。勘違いを卒業してしまった私に思い上がれる傲慢をくれ

労働終わりの空は、夜の帳を下ろしていた。
せいぜい北極星が見える程度の空の下、私は帰路につく。
ガラガラと音を立て、引き戸を開ける。風呂に入り、布団に身を投げる。残りバッテリー70%のスマホを充電器につなぐ。そして、SNSを見る。眠くなるまで、ずっと。何分でも、何時間でも。これが最近の、いや、ここ2年近くのナイトルーティンだ。
私は創作を卒業した。いや、いつの間にか卒業してしまった。
私が創作を真面目にやり始めたのは中学生の時だった。大賞を取れたら書籍化・映像化してくれるコンテストに、同人小説くらいしか書いたこともないのに応募しようとしていた。
3か月ほど毎日書き、ようやく規定字数の10万字に達した。そして、なんとか〆切ぎりぎりにデータを提出した。しかし、よく募集要項を見ると、なんと紙でも印刷して郵送しなければならないと書いてある。しかも当日消印不可。私の3か月は無に帰した。
高校・大学に進学した後も、小説のコンテストには出していた。なんなら大学在学中にデビューして、クリエイターとして生きていきたかった。朝井リョウになりたかった。しかし、やめてしまった。大学内の小説のコンテストにすら受からなかったこと、AIが小説を書き始めたこともあるが、普通に働き始めて忙しくなったことが一番の原因なんだと思う。
気付いたらワードも立ち上げなくなった私だが、それでも時々創作意欲がわいてきて、小説を書こうとした。しかし、書き上がらない。社会で働くにつれ、客観視できる自分が生まれたからである。
そいつは私に自責の言葉を浴びせ続ける。冒頭からして面白くない。伏線も何もない。描写がお粗末。何が面白いの、これ。
昔なら、思い上がっていた自分がねじふせてくれた。しかし、もう、彼女は、いない。
ワードを見るだけで勝手に涙が出てきて、過呼吸になった。適応障害というらしい。
私は創作だけでなく、いい意味で勘違いした自分からも卒業してしまったのだ。
創作者に一番必要なものは何か? この議論はよくクリエイターの間で行われ、様々な答えが出る。才能、運、実家の太さ、インプットの量……昔なら私は才能と答えていた。しかし、今考えると、一番必要なものは傲慢さだと思う。履いて捨てるほどの一流シェフの中で、俺のモヤシ炒めは美味いんです、特別なんです、と言える度胸。思える強さ。大抵の人間は若い時には持っている。が、ある時失われる。その“ある時”が、私にも来たのだ。
2025年3月中旬、派遣契約を切られ、仕事がなくなった。職を探しつつも暇なので、創作に再び手を出そうとした。しかし、小説は厳しい。だが、エッセイなら? そう思い、エッセイの公募を調べる。「私が卒業したこと」とある。その題を見た途端、火山の爆発のようにアイデアが浮かんだ。私はワードを開き、幾年ぶりの執筆を始めた。
なぁ、若さの神様。どうせこの世には八百万の神様がいるんだから、そんな神様もいるんだろう。いるんだろう。返事をしてくれ。
若さの神様、もう一度力を貸してくれ。もう一度あの盛大に間違っていて、けれども楽しい時間を取り戻させてくれ。
そろそろ20後半になるのはわかってる。あんたにすがる時期は過ぎてるのはわかってる。でも私はあの時間を取り返したいんだ。徒労に終わるのはわかってるけど、まだあがきたいんだ。
何もしない人生は退屈すぎるし、虚無すぎるんだ。そりゃそれが大人ってものなのかもしれないが、どうにも私はそれに耐えられないんだ。
だから、神様。もう一度、思い上がらせてくれ。私に、力をくれ。この文章を書き上げさせてくれ。なんとか投稿できて、編集者の目にうつっててくれ。
──私に、傲慢をくれ。
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