一人暮らしを始めて、魔法使いだと思っていた母の本当の顔を知った

母は魔法使いなのかもしれない。
大学進学を機に上京して3ヶ月が経った頃。薄暗いワンルームでひとり、そんな考えが頭をよぎった。
私の母は全てを軽やかにこなす、1番近くにいる眩しい存在。毎朝5時前には起きて、家族4人分の洗濯物を干し、朝食とお弁当を並行して作る。全てを1時間くらいで、完璧に終わらせてしまう。
看護師として仕事をしていた母の出勤時間は早く、家事を終えて身支度を整えると「いってくるね」と私たちに声をかけ足どり軽く出勤していく。そして8時間勤務した後は、看護師から母の顔に一瞬で戻るのだ。帰宅するなりすぐ、朝に干した洗濯物を畳み、夕食作りに取り掛かる。母の作る食事は、毎食栄養バランスが整っていて、あったかくて美味しくて、1日の疲れを溶かす力があった。こんな夕食を、パパッと用意してしまう。
こんな母が、私にとって眩しくて、憧れの存在であった。
大学進学のため上京した18歳の春。私は、1日暮らしのスタートを切った。その頃の私は、家事も勉強も、母のように軽やかにこなせると、そう信じて疑わなかった。母を近くで見ていたし、コツも教えてもらったし。頭の中でのシュミレーションは完璧だった。
だが、現実は面白いくらいに、頭の中の映像が反映されない。
まず早起きすら不可能。ご飯を作る時間があるならベッドに身を委ねていたい。こうして出発時間ギリギリまでベッドにいた結果、大慌てで大学の準備を始める始末。朝食を作る暇なんてあるわけなく、バタバタと玄関を飛び出し大学へ向かう。夕方18時頃、大学から帰宅しキッチンに立つ。夕方は朝とは違い、十分に時間があるから、ゆっくり夕食を作る時間はある。あるのだけど。
1日講義を受けた頭はクタクタで働かない。何を作ればいいのか微塵も思いつかないし、主菜、副菜、汁物まで全て作っていたら1時間以上かかる。
何も閃かないまま、時間だけが過ぎゆく。「……もうやめた、今日は買って食べよう」。
うんざりした気持ちと重い体を引きずりながら、薄暗いワンルームに戻り、硬いソファにどかっと座る。硬い生地にぶつかるお尻が痛い。ソファでさえ私を痛めつけるのね。そしてソファの上で黒い感情と、ありもしない考えが湧き上がる。
「なんでこんなにうまくいかないんだ。実は母は魔法使いで、私たちの見えないところで呪文を唱え、全て簡単にこなしているように見せていたのでは?」
あり得ないとはわかっている。だが、うまくいかない現実を自分のせいにしたくなくて、母を魔法使いにしたくなった。時間の経過と共にどんどん自分が惨めに感じられて、そんな思いを振り切るようにコンビニへ走った。
そんな日が続いた1週間後の土曜日。母から着信が入った。
「そっちの生活はどう?ご飯とかちゃんと食べてる?」
聞き慣れた明るい声に安心する反面、心に分厚い雨雲がかかる。
私は、電話口で苦い思いを口にした。「お母さんみたいに全然うまくできなくて。どうして毎日完璧にできるの?」と、母に問いかける。そんな私の声は湿っていた。両目からも雨水が降って頬を伝う。
「あらあら」と電話の向こうで母の慌てた声がして、数秒の沈黙が続いたあと、「お母さんは、家族みんなが健康で毎日頑張ってほしいから。そのためならなんでもできるんだよ」と、しっとりとした声で教えてくれた。
そして続けて「最初はうまくできなくていいの。ちょっとずつできるように慣ればいいのよ」と、笑いながら励ましてくれた。
「母」という存在は、それだけで全てを完璧にこなせるものだと思っていた。だが、本当のところは、家族を想う暖かな気持ちが、原動力になっていたのだ。けれどきっと、母も「もう少し寝ていたい」とか「ご飯作るの面倒だな」と思う日もあるはず。毎日フルタイムで働く看護師でもあるのだから。
だが、そこにはそんな姿を微塵も感じさせない、母の想いと強さが、柔らかくもしっかりとした形で存在していた。
母は魔法使いなんかではなかった。人1倍に家族を想う、暖かで偉大な「母」なのである。
そんな母を、心から尊敬する。
そしていつか、私も母のように、家族を想う暖かな存在になれることを願って。
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