The darkest hour is just before the dawn. これはイギリスの諺で「夜明け前が一番暗い」を意味する。私の一番好きな言葉だ。この言葉をいつ頃知ったのかさえもう思い出せないが、10代の頃はお守りのように思っていた。当時の私はいつも思っていた。いつになったら、私に朝は訪れるのかと。

中学生の頃、毎日朝が来るのが怖かった。眠っている間が一番平穏で、出来れば永遠に目を覚ましたくなかった。こういった話をすると、一定の人々は私にこう質問してくると思う。「学校でいじめられていたの?」「家庭環境が悪かったの?」私の答えはどちらもNOだ。一般的な家庭に生まれ、平穏な生活を送っていても時として人は人生の波に翻弄されることがある。私の場合はそれが中学生の頃だった。

当時リーマンショックの煽りを受けて我が家の家計は火の車だった。そんな中、同居している祖父が体調を崩し慌ただしく介護が始まった。
祖母は泊まり込みで祖父の病室と家を往復し、一度倒れて前歯を折った。父は一生懸命仕事をしていたが、うつと診断されて一時期自宅療養をしていた。
両親からは何の説明もなかったが、家の雰囲気は徐々に重苦しくなっていき、何か深刻なことが起こっていることは子供ながらに感じ取っていた。

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それでも、心の揺らぎを無視するようにして毎日朝は来る。いつも通り学校に通って給食を食べ、部活に精を出して帰宅する。友人は多いほうだったから、毎日誰かしらに囲まれて過ごした。好きなアイドルの話か、流行のドラマの話か、恋バナか、話す内容は中学に入学した頃から変わっていないのに、急に全ての内容が薄っぺらく感じた。どうでもいいよ、そんな言葉が何度口から出かけたか分からない。それでも、私まで家族に心配を掛けるわけにはいかない。私は自分を奮い立たせ、毎日楽しそうに振る舞った。

「ひなたは人生楽しそうでいいよねー」

そのように言われることもあった。私は思った。そう思われているなら安心だ。私はうまく振舞えているんだと。

そんな中、祖父が亡くなった。私は泣いて、泣いて、落ち着いた頃に登校拒否をした。もう明るく振る舞いたくなかったし、楽になりたかった。私の突然のボイコットに友人たちは驚き、大多数が離れていった。
急に訪れた人生の夏休み、毎日が日曜日なら幸せなのではないかと思ったが、現実はなかなかハードだった。時間が無限にあると、人間は無駄なことを考え出してしまう。私の脳は日がな一日中現在と未来について悲観し始めた。

「これからどうしよう、学校には行きたくない。でも今のままでいるわけにもいかない。どうしたらいいんだろう、どうすればよかったんだろう」
そんなことを暇さえあれば考えていたように思う。そのうちに眠るのが怖くなった。眠ったら朝になってしまう。朝になったら現実と向き合わなければならない。嫌だ、怖い。誰か、助けて。

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転機が訪れたのは17歳の頃だった。高校の海外研修でカナダ行きのチケットを手にしたのだ。はじめは怖かった。泣きながら朝を迎え、行きの飛行機では一睡もできなかった。梅雨の時期だった。日本も雨だったが、カナダにも雨が降っていた。珍しいと現地の人が言っていた。目に映る全てのものが新鮮だった。市場に行くと色鮮やかで珍しいフルーツの数々が山盛りで売られており、海辺に行くと毛並みがふわふわの大型犬がはしゃいで水の中で跳ね回っていた。どこにいても誰かしらに話しかけられ、たどたどしくても英語で一生懸命話そうとすれば誰もが耳を傾けてくれた。
ある日、私は教会で白髪の紳士と話した。そして、何かの拍子にこう言った。

「日本に帰りたくない」
あの頃の私は現実に戻りたくなかった。切実な願いだった。それなのに、紳士の返答はあっさりとしたものだった。
「また戻ってくればいいよ」
そして彼はこう付け加えた。大人になればどこにだって行けるんだよと。初めて光が見えたような気がした。大人になることに何の希望も抱けなかった私は彼の言葉に微かな希望の光を見た。日本に帰国してから専攻を語学に定め、猛勉強した。大学から合格通知書が届いた時、人生で初めて父の満面の笑顔を見た。
人生には度々夜が訪れる。嫌だけど、これからもきっとそういった場面は訪れるのだろう。だけど前ほどは怖くない。私には夜を乗り越えた経験があるから。