フェスも、気になる人との花火も、いつも雨。雨女だけど、雨が好き

私は雨が好き。朝起きて雨が降っていると少しだけ嬉しくなる。
寝る前にYouTubeで雨音のASMRを流すと、安心して眠りにつくことができる。学生の頃はお昼過ぎくらいから雨が降り出すと、みんなで1つの建物に閉じ込められているような気がして、それがまるでミステリードラマの始まりのように思えて1人でドキドキ、ワクワクしていた。特に小学生の頃は、雨が降った日に家に帰ると、普段畑仕事をしている母が家にいてくれるのが嬉しかった。雨は私を、色々な気分にさせてくれる。
だから私は、雨が多い梅雨が好き。
晴れの日は嫌いじゃないけれど、天気が良すぎると「外に出ないともったいない」気がしてなんだか疲れてしまうときがある。だから何も予定がない日に雨が降ってくれると、それを1日お家で過ごす口実にできるので、ちょっぴりラッキーに思う。
だから「何もない日」に雨が降って欲しいのだが、天気の神様は私のお願いを少し勘違いしているようで、私が楽しみにしているイベントや旅行があるときに限って雨が降る。それまでずっと晴れが続いていたのにその日だけ大雨が降って、また翌日には快晴に戻る、なんていうことがしょっちゅうある。週末のお出かけに浮かれていると、天気予報のニュースをみた母から、「“また”雨だって」と伝えられることがお決まりのパターン。
母は、私がいわゆる“雨女”であることを知っている。楽しみにすればするほど雨に降られているような気がするので、毎回大事な予定があるときは、天気の神様になるべく悟られないよう、心の中で「全然、楽しみじゃないけどね〜」と思ってみたりする。そのおかげか、最近は大雨とはいかなくても、1日中どんよりしているか、たまに雨がパラつく程度に抑えられているような気がする。天気を司る神様なんて、実際にいるのかはわからないけれど。
3年前、友達とフェスに行った時には、それまで快晴だったのが嘘だったかのような突然の雷雨に襲われた。下着までビショビショになって、帰りにユニクロに駆け込んだ。
去年の秋、後輩とディズニーランドに行った時には朝からどんよりとした天気で、雨がポツポツ降ったり止んだりしていた。行きの車内では、「今日は何に乗ろうかなぁ」ということよりも、「これ以上降らないで...!」ということばかり考えていた。
気になる人と一緒に花火をしようと約束をしていたあの夏の日は、集合時間の1時間前に雨が降り出した。LINEで「雨、降っちゃったね」と送られてきたときの切なさは今でも覚えている。
こんな風にことごとく大事な日に雨に降られることが多い私だけど、それが梅雨なら、「時期的なものだから仕方ない」と思えるからあまり落ち込まない。それもやっぱり梅雨の好きなところである。
友達との予定のときに雨に降られると、「私が楽しみにしすぎたせいで...」となんだか申し訳ない気持ちになる。
ふと、「きっと私はこれから先、人生で大事なイベントを迎えるたびに雨に降られるのだろうな」と思った。私が物心ついているときから夢にみている結婚式の日なんて、絶対雨が降るに決まっている。
結婚式に雨が降ったらどうなるんだろうと思い、「結婚式 雨」で調べてみた。すると私の予想外の回答があった。どうやら結婚式の日に雨に降られるのは、「縁起がいいこと」らしい。それは新郎新婦が流す一生分の涙を神様が流してくれるといった言い伝えや、雨粒は神様が遣わした天使だという伝説からきているという。やっぱり雨って悪いものではないんだなと、そこでまた少し雨が好きになった。
「物は考えよう」という言葉があるように、雨が幸運なものだという言い伝えは、昔の人が雨を少しでもポジティブに捉えようとした結果なのだろうと思う。日本にも「雨降って地固まる」ということわざがあるし、雨は昔から、人々を色んな気持ちにさせてきたのだろう。
そもそも「私が雨女だから...」と申し訳なく思うのも、自分一人の力で天気が変わると思っているなんて、少しおこがましいかなという気がしてきた。でももし私が本当に雨女なら、私が地上に降らせる雨は、「誰かにとっての幸運の雨」だといいなと思う。今年の梅雨は、そんなことを考えながら家で雨音を聞いていたいと思う。
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