高校二年生の頃、朝が嫌いだった。仕事が始まる、学校が始まる、社会の歯車が回り始めるこの瞬間が、大嫌いだった。

太陽が昇るのは世界が始まる合図で、アラームがなるのは私の一日が始まる合図。太陽が昇らなければ、私は学校に行く必要がないのだが、それでも昇ってしまうので、落単が危惧される授業だけは出席することを努力していた。定期テストで良い成績を残して、高い評定を維持する。推薦で大学に行って、優良企業に勤める。それが私の高校生活での目標であり人生の計画であったのに、気が付けば他のクラスメイトに置いていかれ、もう追いつけない程には学力の差を引き離されていた。

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午後11時59分、私が一日のうちで最も孤独になる時間。出席日数も取得単位もクラスのみんなより少ないのに、まだ他のみんなとは違う人間だと思い込んでいた。私はみんなより優れていると、自分に言い聞かせていた。秀でた才能がある訳でもないのに、プライドと承認欲求は人一倍高かったし、自分は優れた何者かになる予定だったのだが、そうはいかなかった。いつからこんなにみっともない人生になってしまったのか。毎日毎日眠りに付けないこの寂しい時間に考えるのが私の日課だった。

思えば昔から、なんでもやれば出来た。足もクラスでいちばん速かったし、逆上がりも幼稚園で習得した。鉄棒も球技も得意だったし、勉強だってそれなりに出来た。周りから持て囃される事に慣れて、それが当たり前だと勘違いしていたのだ。その頃から、他人の評価に過剰に依存し始めていたのかもしれない。

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中学校に入学して、自分より成績の高いクラスメイトを見てから、他人と自分の比較が始まったような気がする。他人と自分を比較して、存在価値を確認しようとしていたのかもしれない。私はあの子よりいい点数を取りたい、あの子よりはいい高校に行けるだろうと。高校に入学してもその考えは変わらなかった。定期テスト上位や皆勤賞など、私にはたくさんの目標があった。完璧にこなせない自分を追い詰めていたから、挑戦も行動も出来ない、所謂みっともない人生になってしまったのだろう。

午前0時、焦燥感に駆られる時間。いつもなら、完璧にこなせなかった高校生活を考えて自己嫌悪に陥り、自分の出来を周りと比べて将来を焦る時間。でも、その日は違った。部屋の窓を開けて考える。まだ少し肌寒いが、夜の匂いが心地良かった。ふと気づくと、月がこちらを見ている。私の居場所は、ここにあったのだ。誰かに認められなくても、私はここに居ていいのだと思える月明かりだった。夜はいつも、私と一緒にいてくれたのだ。一緒に悩み、一緒に探してくれた。

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目が覚めると、夜が明けていた。アラームよりも先に、目が覚めてしまったみたいだ。スマホの時計を見ると、まだ五時前だった。もう一度窓を開けて月を探す。薄い水色の淡い空に、青白い月が光っている。世界が動き出す前の静けさに、ワクワクしている自分がいた。人の性格は簡単には変わらない。承認欲求の強さも、自己否定感も、被害妄想がちな所も、簡単には変わらないのだと思う。でもそれに対する考え方と生き方は変えられるのでは無いだろうか。夜は、朝が来るまで自分と向き合う時間をくれた。変わらなきゃと自分を追い詰めることが、自身を否定しているのだということを知った。高校二年生の、あの頃の私は、そんなことにも気付けないほど子供だったのだ。

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私は今年、20歳になる。今でも、夜になると深く考え込んでしまうことがあるが、夜はいつも、私たちの味方だ。私たちはひとりじゃない。だから、自分に厳しくしすぎる必要も無いのだ。朝が来るまでの間だけは、沢山悩んで、沢山泣いていい。他人がどう思うかは重要ではない。自分を大切にして、自分を好きになれる生き方をしようと決めた。