梅雨がくれる、出かけない日の心の余裕。今年は新しい傘で乗り切りたい

天気予報。毎日、何かしらの媒体で見ている。天気予報には色々な情報が含まれているけれど、一番気になるのは、晴れなのか雨なのか。天気は私たちの生活に大なり小なり影響を与えていると思う。私の場合、雨はマイナスに捉えることが多いけれど、必ずしもそうとは言い切れない。その時の気持ちや状況によって雨の捉え方が変わる。
雨が憂鬱な時。例えば、外へおでかけに行こうと計画している時。傘をさしながらの移動は面倒だ。写真を撮るにしても、傘をさしながらだと撮りづらい。これが日にちを選ばないような日帰りのプランなら、別日に予定変更も可能だろう。けれど、その日しか行けなかったり、お花見など時期が限定されていたり、はたまた旅行となると、なかなか予定変更は難しい。そうなると雨であっても決行せざるを得ない。雨だけど仕方ないかという思いでプランを実行する。
逆に雨に対してマイナスなイメージを持たない時って、どんな場合だろう?例えば、学生時代を振り返ると、学校行事は天気に左右されるものも多かった。ほとんどは雨天順延で、雨が降ったら中止ではなく、別日に変更となる場合が多かった。けれど、体育のプールであったり、ごく稀に雨天中止のものもあった。気が進まない行事が雨によって中止になった時は、密かに喜んでいる自分がいた。単なる逃げに過ぎないのだけれど、それによって一時的に救われることもあった。
私は普段、休みの日に一日中家に居るのはあまり好きではない。たとえ、近場であっても軽く出かける方が好き。けれど、たまに家でゆっくりと映画を観たいなと思うことがある。そういう時、天気が雨だと、自分が映画を観るという行為をより一層選択しやすい。天気が晴れだと、家に留まっているのがなんとなくもったいない気がするのだ。
けれど、雨であれば、「雨だし、出かけるのも大変だし、映画日和だよね」という家で映画を観るという自分の選択に対する裏付けが増えて納得感が増す。家でゆっくり映画を観たいけれど、出かけないのはなんとなくもったいない気がするという心の葛藤を解決してくれるのがまさに雨なのだ。しかも、それが自然現象だから何の努力も必要ないというのも良い。
もうすぐ、梅雨の季節がやって来るけれど、私はそこまで構えてはいない。もちろん、毎日のように雨が降るのは憂鬱だけれど、1年の中でそういう長雨の季節があるのは仕方のないことだと捉えている。自然現象には私たち人間は立ち向かえない。私がいつもありがたく思うのは、いわゆる「天気痛」の症状がないこと。もし、天気痛の症状があれば、もっと天気に対して敏感になるに違いない。
梅雨の間、毎年自分はどのように過ごしているのだろう。このエッセイ執筆をきっかけに振り返ってみたけれど、全く記憶がない。ということは、梅雨をあまり気にせず、いつも通り過ごしているということだろう。なんだかんだでそれが一番良いと思う。気が付いたら、梅雨が始まって、気が付いたら梅雨が終わっていた。それぐらいの軽い気持ちで梅雨を乗り切れたら上出来だ。昨年は、お気に入りの傘を1本紛失してしまったので、梅雨が始まる前に新しい傘を買おうと思う。ジメっとした季節をより華やかにしてくれるような傘を。
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