家を買わない選択をした。持つ安心より、いかに生きるかを大切にする

家を買わない選択をした。
田舎で育った私は、将来は一軒家に住むものだと、ずっと思っていた。何かをしたら、すぐに噂が広まってしまうような小さな小さな町で、ご近所付き合いの濃い地域──野菜を育てては、お裾分けとして隣の家に持って行ったり、庭で草むしりをしたり、玄関先で祖母が井戸端会議をしているのを見てきた。
私も勿論、一軒家に住んでいた。一軒家に住んでいない人なんて、居なかった。
友達の家に遊びに行くと、また自分の家とは違った雰囲気があった。私の家は和室で畳だったけれど、友達の家は洋室にソファーがあって、それにすごく憧れた。吹き抜けのあるリビング、洒落た壁紙、ふかふかのベッド。北欧風、西欧風、和モダン──それぞれに個性があって、私だったらこんな部屋にしたいなぁ……と想像するのが好きだった。壁の色は白にしようか、ベージュにしようか。
大人になったら、当たり前のように家を建てるものだとそう思っていた。それが、私の中では普通だった。
でも、旦那と結婚して東京に出てから、その夢は無くなった。東京の街並みは、私の育った町とはまるで違う。どこを見ても、ビルビルビル。高い建物ばかりが並んでいて、空が狭かった。交通手段が沢山あって、便利な反面、みんながせかせかと、生き急いでいるように見えた。でも、東京は、田舎ほど息苦しくない。隣の家との関係を持つこともなければ、詮索されることもない。この「人との距離感」が私には心地良かった。
家を持たないことは、ある意味では不安定だ。いつまでも賃貸だと、家賃を払い続けなければならないし、高い家賃を払うくらいなら、不動産を買ってしまった方が早いのでは……?と思うこともある。老後のことを考えると、どこかに拠点を持った方が安心かもしれない。そう思うこともある。
でも今は、身軽でいたい。人に物に縛られることなく、自由でいたい。
もちろん、家を持ちたいと思う気持ちが、完全になくなったわけではない。できることなら、親を招待して、いつか、親を安心させられるようなちゃんとした暮らしを見せたい。その気持ちは、今も胸の奥にある。
家は、どこかで証でもあるのだと思う。「私はここにいるよ」「私はちゃんとやってるよ」っていう、目に見える形で伝える一つの手段。もしくは、ステータス。けれど、今の私にとって、それは絶対ではない。
「どこで生きるか」より、「どう生きるか」──そう思うようになった。そう、思えるようになった。今住んでいる小さなアパートでも、カーテンの色を変えたり、お気に入りのソファーにしたりすることで、十分に私の居場所になる。心が安らぐ場所になる。帰ってきたくなる場所になる。
家の大きさだけを重要視していた。何かを持つことで安心したかった。でも、違う。大切なのは、そんなことでは無い。他人からどう見られるか、よりも、自分たちがどう居心地良く生きることができるか。毎日の生活の中で、ちゃんと笑えているかどうか。疲れたときに、ほっ……とできる場所があるかどうか。誰かとごはんを食べて、おいしいねって言い合えるかどうか。それが私にとっての家なのだと思う。
この先、どこで生きていくか。正直、まだわからない。養子縁組をしたら……?もしも、子どもが欲しくなったら……?そんなことを考え始めたら、思考がまとまらなくなってしまう。その時その時によって、また変わるのかもしれない。
でも、それはその時に考えれば良いから。今のこの選択も、私の大事な一歩だと思っている。
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