夫、高校の友達グループ、母、出○館、兄の嫁……LINEのトーク履歴を眺めながら、空想する。
もし自分が主演の映画があったとしたら、エンドロールはこんなかんじだろうか。
時折ほのぼのとした日常風景を映す、ありきたりな脚本で。もちろん苦しいときもある。でも幸せな結末がちゃんと用意された、予定調和な物語。先のことはよく分からないけれど、まだ出会っていない人物が登場するかもしれない。
願わくは、ハッピーエンドだといいな。
反対される結婚相手。普通に祝福されるハッピーエンドは来ないの?
「できれば通過点であってほしい」。
昨年はじめ、結婚報告をしたときの母からの第一声である。念のため説明しておくと、当時付き合っていた彼氏(現在の夫)は、いたって真面目で、誠実で、働き者で。見た目は少し強面だけどのんびり屋さんなおっとりとした性格で。ものづくりにピッタリの器用な手先と、ついでにローンを払い終えた一軒家も持っていた。
母が反対するのには理由があった。
彼がわたしより18も年上で、離婚歴があり、おまけに一軒家には年老いた両親が住んでいたからだ。母をはじめ、姉妹のように育った幼馴染、素面でも笑い合える友人…わたしに近しい女性ほど、心配だ心配だ、将来あなたが苦労するのが目に見えていると、考え得る懸案事項をこれ見よがしに列挙してみせた。もしくは「同年代で、もっと他にイイヒトが見つかるよ」と、おじさんと結婚するのは時期尚早ではないかと揶揄する声もあった。
前者はありがたい参考意見として心に留めたが、後者はありがた迷惑である。いずれにしても、のべつ幕なし紡がれた心配事は、彼との間ですでに話し合われた事柄であった。
夫婦で外に働きに出るのなら、家事はどうやって分担しようか。あなたの両親が耕す畑はどうするの?わたしの両親は近くに兄夫婦が住んでいるから、もしもの時はお願いした。年齢的にも子どもは望めないかもしれない。そもそも子どもは欲しいのか。本家なので年末年始は忙しいし、田舎はご近所付き合いも大変だ。親の介護が必要になったら、育児や仕事はとてもじゃないが両立できないだろう。もし俺が先立って両親と家に取り残されたのなら、君は自分の実家に帰ってくれていい、あとはうちの妹たちに任せてくださいね。
エンドロールに私の名前を。それが婚姻という意味だと思う
自分が先陣切って旅立つ分には構わない。わたしにとってのハッピーエンドは、大切な人が自分より先に死んでしまわないことだ。あるいは「せーの」で足並み揃えて永遠の眠りにつくことが望ましい。しかしそのどちらもが、叶うはずのない未来である。早生まれで、末っ子で、夫は18年上で。仮に全人類が100歳までの人生を約束されていたとしても、わたしの世界でいちばん最後に取り残されるのは、わたし自身なのである。
夫と結婚してから、スマホのカメラ機能が大活躍している。手軽さ故に、自分でも引くくらい、毎日シャッターを切っている。彼には「今日はなんの記念日だっけ?」と笑われてしまうのだけど、そんなささやかな毎日を逃がしたくないのだから、仕方がない。
孤独はこわい。寂しいのはつらい。ハッピーな時間には、いつしか必ず終わりがくる。だからこそちゃんと見届けたいと思うのだ、その人との、最後の思い出を。
LINEのトーク履歴を眺めながら考える。
この、ワンタッチで消してしまえるアプリに登録していれば、大事な人との別れに立ち会えるのだろうか?たとえばここに名を連ねる幾人かは、住所も本当の電話番号すらも知らない人たちだ。二十数年来の仲であるのに。
恥ずかしい話、夫と結婚するまでは、彼の実家の電話番号なんて知りもしなかった。逆もまたしかりで、わたしの実家の電話番号を、いままで彼は知るはずもなかった。なにしろ家電ではLINEに登録できないのだから、当然の成り行きである。
期しくも昨年、新型コロナが巻き起こした社会の大潮流に飲み込まれたわたし達は、入籍後早々に、半年間の別居婚を強いられていた。果たして、この状況下で夫かわたし、どちらかに不幸があったらどうなるのだろう?もし彼との関係が「結婚」以前のままであったのなら。少なくとも、結婚を反対していたわたしの身内が、彼に連絡をとるとは到底思えない。そもそも論、親に彼氏の連絡先を教えたことは歴代で一度たりともないのだから、知らせようがないだろう。彼の両親も同様に、息子という唯一の手掛かりを失った以上、名前も顔もうる覚えな「謎の彼女X」の連絡先を導き出すのは至難の業だ。
そうして、大事な人の訃報を知らぬまま、彼女(彼氏)Xは残りの人生を歩んでいくのだろうか。たったひとりで、いつかまた会う日まで、心躍らせながら。
二人だけに分かる魔法の言葉なんてものは、なんの確約にもならないのだ。
ヨロシクもサヨナラも、口先だけで済んでしまう関係は儚い。簡単に手に入るものは、簡単に零れ落ちていく。スマホに保存した大量の写真だって、あとで見返してみたところで、きっとあのとき感じた楽しさの半分も思い起こすことはできないだろう。
わたしにとって婚姻とは、最後まで寄り添うことを許し、許される、その約束である。面倒なしがらみだって、足がもつれそうなほどあるけれど。そのしがらみこそが、大事なときに、大事な人と自分を結ぶ、強固な糸になるのだ。
どうか、夫のエンドロールが流れる、そのときが来たのなら。
わたしは彼の名の傍らにありたいと、切に願う。