何もかも不器用だったけど、確かに彼を思っていた自分。もう十分だよ

これが恋だったのか、どういう好きだったのかは未だに分からないのですが、少し苦い思い出について書こうと思います。
その人とは特別に仲が良かったわけではなく、ただ名簿が近かったことから、自然と話す機会が多かったという感じでした。
独特な笑いのセンスの持ち主で、話しているとつい笑ってしまって、授業中によく怒られていたことを覚えています。
そんな中、ある日を境に彼が学校に来られない日が続くようになりました。
何が原因かもよくわからない。体調が悪いのか、人間関係で悩んでいたのか、わざとなのか。不登校になる人は珍しくなかったので、みんなそれほど気にしていないようでしたが、私はなぜか心の奥がもぞもぞして、気になってしまいました。
そして、何か力になれたらと思って、勇気を出してメールを送り始めました。
ただの「元気?」とか、「明日は来てね!待ってる」とか、そんなありきたりな言葉しか送れなかったけれど。
彼は、「ありがとう!^^」と短い返事をくれました。
そしてちゃんと、その翌日は彼が学校に来ることが多かったのです。
すごく嬉しかったし、自分の存在が少しでも誰かの力になれるんだって、救われるような気持ちになっていました。
でも、それは長くは続きませんでした。
彼はどんどん休みがちになっていきました。
休みの度に私はメールを送り続けましたが、少しずつ、彼からの返信は素っ気なくなっていきました。
返事が来ないことも増えました。
その頃から、私は段々自信を失っていきました。
「私、うざいって思われてるんだろうな」
「ブスのくせにしつこくメール送って、気持ち悪がられてるのかもな」
そんな考えが頭を占めるようになりました。
だって、自分が好きでもない人にしつこく付きまとわれるのって、普通に気持ち悪いじゃないですか。もし自分だったら、興味もない相手から毎日メッセージが来たら、正直困るし、重い。きっと彼も、そんなふうに思ってるんだろうなって、勝手に、でもリアルに想像していました。
そうして、私は段々メールを送れなくなりました。間もなく、私たちは自然と話さなくなりました。たまにすれ違っても、気まずい空気だけが流れて、いや、空気どころか無関係そのものになりました。
同窓会で再会しても、何も言葉を交わしませんでした。
それでも、私の中では彼のことがずっと心の隅に引っかかっていました。
別に何か劇的な出来事があったわけではないのに、どうしても、「私の何が間違っていたのか」と、自分を責める気持ちだけが残り続けていました。
そんな彼を、あるとき友達の結婚式のムービーで見かけました。
頼まれてもいないのにバンジージャンプをしていて、「おめでとう!」って叫びながら飛び降りていく姿を、私は画面越しに見ていました。
その瞬間、心の中で何かがふっと冷めていくのを感じました。
ああ、元気そうでよかったな。
それだけでした。
もう、心がざわつくことも、悲しくなることもなかった。
バンジーで元気に飛び回る彼を見て、「ああ、この人はもう、私の心配なんていらないんだな」と自然に思えました。
今になって思うのは、私はたぶん、彼に恋をしていたわけじゃないということ。
ただ、「居場所」でいたかったのかなと。
勝手ながら仲が良い気でいたから、彼の孤独や不安に少しでも寄り添いたかったんです。
でも、それは自己満足だったかもしれません。
誰かの支えになりたいっていう気持ちは、相手がそれを望んでいてこそ、初めて意味を持つんだと、今なら分かります。
もしまた同窓会で彼に会うことがあっても、無理に話しかけることはしないと思います。
お互いに、ただ、それぞれの人生を歩いているだけだから。
昔の私は、たしかにブスだったかもしれないし、キモかったかもしれません。
でも、誰かのために一生懸命になったその気持ちは、今でも、少しだけ誇らしく思っています。
あのときの自分も、何もかも不器用だったけれど、確かに彼を思っていた。
それだけで、もう十分だと思えるのです。
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