伝えきれなかった祖母への感謝。人はいつも、別れのあとで初めて気づく

誰かの過去を知ることに、果たしてどれほどの意味があるのだろうか。
こんな問いが頭をよぎったのは、祖母を亡くして数年が経った頃のことだった。悲しみが癒えながらも消えることなく過ごしている日々。ふと立ち止まる瞬間に、その喪失感は静かに姿を現す。そのたびに、私は祖母の人生について、あまりにも何も知らなかったことを思い出す。
祖母がどんな幼少期を過ごし、どんな青春を送り、どんな思いを抱えて大人になったのか。母に尋ねても「そんな話、あまり聞かなかったなぁ」と首をかしげるばかりだった。今思えば、祖母が自分の過去を語る機会はたくさんあったはずだ。一緒に過ごした時間が少なかったわけではない。しかし、共有している時間の中で共有できなかった時間の話をする機会はあまりなかった。私が産まれるずっと前から続いてきた祖母の軌跡。子どもだったから仕方がない、そう思おうとしても、胸に残るのは後悔ばかりだ。
私は今20代で、祖母が20代だった頃とはまるで違う世界を生きている。戦後の混乱を経て、物も情報も豊かではなかった時代。祖母はそんな時代に、どんな苦労をしながら、どんな夢を抱き、何に悩んで生きていたのだろうか。強く生きるとはどういうことなのか。祖母の人生には、その答えがきっとあった気がする。
祖母は、私にとって特別な存在だった。エネルギッシュでいつも私たちを気に掛けてくれた。年齢を重ねてもなお、予定はいっぱいで行動力があり家族を大切にする姿勢は、私の理想そのものだった。祖母の周りにはいつも人がいて、その場は温かく、安心感に包まれていた。でも、私が知っている祖母は、その最終形だった。「できた人間」としての祖母の姿しか知らない。そこに至るまでの葛藤や失敗、努力や涙。そうしたすべてを知らずに、「こんな人になりたい」と思うのは、どこか表面的だったのかもしれない。
もう一度、祖母に会えるなら。私は迷わず聞きたいことがある。
「どうやって強くなったの?」
「つらいとき、どうやって立ち上がったの?」
そして、何よりも「ありがとう」を伝えたい。
あのとき伝えられなかった感謝の気持ち。祖母がいなくなって初めて、自分がどれだけ守られ、支えられていたかを思い知った。誰にも言えなかった悩みも、祖母の前では自然と口に出せた。無条件に受け止めてくれる存在や共有できる時間の尊さがどれほど貴重だったのかが、今なら分かる。もっと祖母のように、人に優しくなりたい。自分の小さな価値観だけで人を判断せず、相手の背景を想像できる人でありたい。祖母はそういう人だった。そして私も、そんなふうに年齢を重ねていきたい。
今、もし「もう一度会いたい人は誰?」と問われたら、私は迷わず祖母の名前を挙げるだろう。もう一度だけでいい。祖母の声を聞きたい。祖母の手を握りたい。そして、その手がどんな人生を生きてきたのかを共有したい。
人はいつも、別れのあとで初めて気づく。聞きたいことも、伝えたいことも、すべてが「もう遅い」となったときに。だからこそ、今そばにいる人の言葉に耳を傾けようと思う。心からの感謝は、ためらわずに伝えようと思う。もう会えない人への後悔を、これから出会う人たちとの関係に活かしていきたい。
そして、いつか誰かが私を「もう一度会いたい」と思ってくれるような、そんな人間になりたい。
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