「会えない」と「いない」の境界はどこ?2年前に旅立った祖父を想う

「会えない」と「いない」の境界はどこなんだろう。2年と数ヶ月ぶりに訪れた母の実家で、祖父の写真を前にぼんやりとそう思った。祖父が天国に旅立って2年。私はまだ祖父が「いない」ということをあまり実感できていない。
母の実家は隣の県にある。車で片道2時間ほど。小学生の頃までは学校の長期休みなどに遊びに行っていた。幼少期の私はかなりの人見知りで、祖母や祖父とさえまともに会話ができず、いつも母にくっついて離れなかった。中学生になってからは長期休みも部活に行くようになり、母の実家への足が遠のいた。やはり片道2時間というのは私にとっては体力のいるものだった。その後部活の引退が見えてきた頃には私の病気が発覚し、ますます祖父・祖母と直接会う機会は減っていった。
病気と学業の両立に苦しんだ怒涛の学生生活を終え社会人になったときには、世の中はコロナ禍だった。そして祖父は体調を崩しており、余命の話まで囁かれていた。全てのタイミングが悪かった。私自身の体調も経過が良くなかった。コロナ禍真っ只中では、肺を患っている祖父に会いに行くというのはあまりにリスクが高すぎた。その頃には人工酸素の機械を常時つけていた祖父は祖父で、弱った姿を私たちに見せたくなかったようだ。
そんな状態で祖父に会えないまま、祖父は2年前の年明けに旅立った。会える回数も少なく、幼少期の私は人見知りで祖父とまともに話せなくて、祖父もまた口数の多い人ではなかった。だから、祖父のことは嫌いではなくむしろ好きだったけど、祖父がどんな人だったのかということを実は私はよく知らない。祖父が死んだという実感がないのに、本人と会うことも話すことももう不可能だという現実だけが頭で理解できてしまってそれがとても悲しい。人見知りしなくなって、どんな大人ともそれなりに雑談ができるようになった。社会人になって、自由に使える時間とお金を持てるようになった。自分で車も運転できるから、今なら1人でだって祖父の家に行ける。それなのに、それなのに祖父はもういない。
今や祖父の人柄を知る手段は、母や祖母の話を聞くだけとなってしまった。人づてに聞くのは、どうしたって話し手のフィルターがかかってしまう。やっぱりその人を知りたければ本人と直接話をするに限ると思うのだ。
今、祖父ともう一度会えるなら私はどんな話をするだろう。祖父は私にどんな話をするだろうか。きっと特別に聞きたいことや知りたいことなんてなくて、ただ他愛のない雑談が続くのだと思う。それでいい。そういう穏やかな祖父との時間が私はほしい。そして、それがどうやったって叶わないというのが、「いない」ということなんだと思う。私たちはもっと、会いたいと思ったら会って、伝えたいと思ったら伝えて、いま、その人との時間を大切にしなければならない。それは頭でわかってはいてもなかなかできることでもないけれど。
いつか私がこの世を去って祖父ともう一度会えたなら、なんでもない話をたくさんしよう。その日までは大切な人との時間を全力で大事にしよう。
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