狂おしいほどに好きだったという記憶だけが残る、彼にはもう会えない

もう一度会えるなら、私は彼に会いたい。
初めて私に「愛」を教えてくれた、あの人に――。
あれはまだ、高校生の頃のこと。
コロナ禍で入学し、マスクが日常だったあの時代。顔も知らず、声も知らない。それなのに、気づけば私は彼を好きになっていた。
いつからだったのだろう。
正直、どんなきっかけで惹かれたのかは覚えていない。ただ、息をするように自然に、何の前触れもなく、彼への想いが芽生えていた。
今もはっきりと覚えているのは、狂おしいほどに彼を好きだったという、その記憶だけだ。
廊下ですれ違うたびに息を止めていた日々。
彼が教科書を読む順番を数え、順番が回ってくるのをひそかに楽しみにしていた時間。
彼の背中を静かに眺められる、生物の授業。
黒板に映し出される、書道のように整った美しい文字と、無機質なはずの数字の羅列。
そのすべてが、いとおしかった。
どうしてあんなにも好きだったのか、自分でもわからない。
ただ確かなのは、その想いが何にも昇華されず、始まりも終わりもなかったからこそ、今も私の中で眠り続けているということだ。振られたわけでも、付き合ったわけでもない。もしかすると、言葉さえ交わさなかったかもしれない。
それでも私は、彼を思い続けた。
大学進学で地元を離れ、新しい人と出会い、恋をした。
何人かと付き合って、いろいろなことを経験した。
それでも、ふとした瞬間に彼のことを思い出してしまう。
当時の私は、これを「愛」だと疑わなかった。
でも、今ならわかる。それは「愛」ではなかった。
あまりにも独りよがりで、相手の気持ちを知ろうともしなかった。
ただ自分の中で育てていた想い。
本当の愛とは、二人で育むものだ。
私がしていたのは、ただの片思いにすぎなかったのだ。
そんな「愛」とさえ勘違いしてしまうほどの想いを、私はなぜ伝えられなかったのか。
理由は単純だった。嫌われるのが怖かったのだ。常に完璧な自分を見せていたかった。
でも学校生活というのは、自分の未熟さや恥ずかしさが否応なくあらわになる場所でもある。
彼の前での一挙一動が、不自然に感じられて仕方なかった。「好き」という気持ちがあふれてしまいそうで、自分の振る舞いすべてが恥ずかしく思えた。
そんな自分では、彼にふさわしくないとすら思っていた。
結局、私は自分の勇気のなさを正当化して、ただ黙って彼を見ていることを選んだ。
そして、何も始まらないまま、何も変わらないまま、時間だけが過ぎていった。
今、私には愛する人がいる。
彼ではない。彼のような、燃えるような情熱でもない。
けれど、お互いの気持ちを確かめ合いながら、少しずつ育ててきた確かな「愛」がある。
この愛こそが、本物だと信じられる。
それでも時々、ふと彼を思い出す。もう一度会えたら、と願ってしまう瞬間もある。
でもそれは、本当の再会を望んでいるわけではない。
もし会ってしまえば、あの感情が再燃してしまいそうで、怖いのだ。
それに何より、もう叶わぬ恋を引きずるのはやめたい。
今、私の心にいる彼は、想像の中の彼だ。
「彼なら何て言うんだろう」そんな風に思いをはせることもある。
けれど、それはもうかつてのような“好き”ではない。
きっと私は、今も昔もずっと、現実の彼ではなく、想像の中の彼に恋をしていたのだ。
そして、想像の中の彼には――もう、会うことはできない。
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