Q.もしも願い事が1つかなうとしたら、どんな願い事をするか?
A.何を食べても太らないからだが欲しい。

数年前の私なら、きっとためらいなく、本気でこう答えただろう。今はそんなことはないけれど。

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中学2年でダイエットを始め、1年後摂食障害になった。ひどいときは、塩もかけていない葉物野菜や、キノコしか食べられなかった。肉はもちろん、ドレッシングもダメ、油もダメ、小麦粉もダメ。毎朝作ってくれる弁当もほとんど捨てていた。

食べないくせに誰よりも食事に執着していた。受験期も8時間勉強した後、2時間近く汗だくになるまで運動した。反抗期はなかったけど、食事のことで何度も母と喧嘩した。今も支障はある。

食べ始めて、ある一線を超えると止められなくなって、結局戻してしまう。折角、おいしいものを楽しく食べていても、太ると思うとどんどん心が冷めていく。全てなかったことにしたくなる。外食前は必ずメニューを確認する。どんなメニューがあるか分からないから。

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毎朝、数字を確認する。大きくなっていたら憂鬱になり、小さくなっていると嬉しくなる。小さな画面に表示される数字に一喜一憂して、とても愚かな人間だと、自分でも思う。なぜならその数字を小さくするために、私はたくさんの楽しみと幸せを、自ら失っているから。

母の好きなラーメンを一緒に食べられない。月に1回の先輩との外食で、カロリー計算を絶え間なく行う。友達の家でのご飯会で、せっかく作ってくれたものでも、太ると思っている料理ばかりだと帰りたくなる。平日疲れて帰ってきても、欠かさず運動する。毎日やらないと太ると思っているから。

外面を気にしている他人を冷めた目で見ているくせに、私も彼らと一緒なのだ。毎朝鏡を占領して、髪を整え化粧をする妹が嫌いだった。けれど、すこしでも細い体を目指す自分と何ら変わりないのだ。

他人からの視線なんて気にせず生きていきたい。他人からどう見られるか、どう思われるかを考えて、自分をコントロールしたくない。そう思っているはずなのに、今の私はそれに反している。

おいしいものを素直においしいと食べるほうが、何倍、何十倍も幸せであることは、身に染みて感じている。普通に食べて生活していれば、病気になるようなこともない。

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今はむしろ減りすぎて、病院に通っているのだから。それに、一食何千何万円もするコース料理じゃなくても満足するのだ。母が特売のひき肉で作ったハンバーグでも、先輩と食べるファミレスのグラタンでも、レトルトのカレーでも、何でもおいしいと思える最高に安上がりな舌を持っているのだ。

しかも近くのスーパーに行けば、幸せになるものがたくさん並んでいる。アレルギーもなく好き嫌いもない大変優れた体質で、美味しいと思えば幸せを感じられる単純な人間が、数字に振り回されて、みすみす楽しみを減らすなんて、バカげていると思う。

一人で美味しいと思っても満足できる。さらにそれを共有する人がいたら、もっと嬉しい。
私は、濁りのないおいしいを共有できる人に戻りたい。