髪がゴワゴワと広がると「梅雨が来たな」と思う。
絵本に出てくる魔女のようになった長い髪をいなしながら、私は粛々と編み込みをする。
くせ毛である。
それも外国のお姫様のような「豊に波うつ」タイプのくせ毛ではなく、「中途半端にうねりながら広がる」タイプのくせ毛である。この髪がずっとコンプレックスだった。

くせ毛をコンプレックスだと認識したのは中学生のときだ。
「ハルは髪がボサボサだからもうちょっとどうにかしなさい」
ある日、母にそう指摘された。
鏡を見るとそこにはボサボサでなんだか全体的にもさもさとした冴えない眼鏡の中学生がいた。

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それまで自分の髪をボサボサであると思ったことはなかった。しかし、一度「ボサボサ」と命名されてしまった私の髪はもう、まごうことなき「ボサボサ」なのであった。その後も母にボサボサを指摘され続け、気づくとクラスメイトを「ボサボサ」か「非ボサボサ」かという観点から見るようになっていた。ボサボサが悪だと植え付けられた私の目に、非ボサボサの子たちが眩しい。非ボサボサであるだけでそれはもう、ほとんど橋本環奈なのであった。それに比べて、私のボサボサは……。何をするにしても「自分の髪はボサボサである」という暗示に近い事実が、私をうつむかせた。とにかくボサボサは嫌だと思った。

嫌だと思っても、中学生の私にはボサボサを鎮める方法がわからなかった。次から次へと飛び出すアホ毛をピンでとめまくり後頭部が数多のピンでデコボコになったポニーテールと共に、私の中学生活は過ぎていった。

ボサボサとの格闘は高校以降も続いた。高校生になり、お小遣いという名の収入を手にした私はボサボサ撲滅に闘志を燃やした。ヘアオイル、ヘアスプレー、スタイリング剤、ヘアアレンジ、かわいいヘアアクセサリー。ボサボサと格闘するうちにその時は訪れた。

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この髪はボサボサではない、憎めないonly oneのくせ毛なのだ。
自分の髪を認められた瞬間だった。思えば、この髪のおかげでヘアオイルの違いを知った。好きな香りを見つけた。ヘアアレンジの仕方を覚えた。髪でだいたいの湿度を計ることができるようになった。
日によって違った表情を見せてくれる私の髪。アレンジが映えるふわふわとした毛量の多い私の髪。この髪に煩わされながらも、私はちゃんとこの髪と向き合ってきた。
私のボサボサ、いや、くせ毛は苦楽を共にしてきた戦友であるということにようやく気づいた。
なあんだ。かわいいとこあるじゃん。鏡のなかの私にほほ笑むと、それは少し困ったような笑みになった。あの頃もきっと「どうせボサボサだから……」とうつむく必要なんてなかったのだ。

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今でも気を抜くとすぐに私の髪は爆発を仕掛けてくる。懲りない困ったヤツである。
でも、大丈夫だ。梅雨だろうが熱帯雨林だろうがこの髪と共に歩む未来は明るい。ボサボサと格闘した過去は、自己肯定感という名の揺るぎない勲章となった。今なら自信をもって言える。私はこの髪が好きだ、と。
と言いつつも、最近はボブに挑戦してみたいのでストパーを検討中である。