マエアツを捨てスニーカーばかり履くようになった。自分が好きになった

「前ならえ」と聞いて、あなたはどんな動作を思い浮かべるだろう。
両腕を前方に伸ばして起立する状態を思い浮かべたなら、あなたはきっとマジョリティだ。
私の記憶には、先頭で腰に手を当てるポーズしかない。幼い頃から小柄な上に身長が伸びない体質で、背の順で先頭以外になったことがない。2番目以降の人たちと比べてそのポーズはなんだか滑稽で、幼いながら恥ずかしいと思っていた。
友達とくだらない諍いが起きると、相手の捨て台詞は決まって「チビ!」。
他人の容姿をいびるなんて卑怯だ、そう思いつつ、身体が小さいのは事実なので、何も言い返せなかった。
思春期の頃は、自分の背が低いことに対してずいぶん思い悩んだ。
おりしも中高生の間で「マエアツ」が流行った時期。AKBじゃなくて「前厚底パンプス」である。当時流行ったK-POPアイドルは、色とりどりのカラースキニーとマエアツを身に纏い、ポップなBGMに合わせて可憐に歌い踊っていた。
私もそれに憧れて、身長の何割?と思うような厚底のパンプスを買っては靴擦れを起こしていた。想像するに容易い展開であることはいうまでもない。
せめて150cmあってくれたら、という願いも虚しく、私の成長は149cmで止まった。神様はなんと無情なのだろう。
気に入ったズボンがあっても丈を直さないと履けない。というか、丈を直したらあまりにも大幅に布を切ることになり、気に入ったシルエットが崩れることのほうが多い。治さずに履けば圧倒的な着られている感が出る。靴も自分に合うサイズより1cm大きいサイズからしか展開がない。婦人服というより子ども服のほうがピッタリくる。そういった小さなことが恨めしくて恨めしくて、たまらなかった。
苦手なヒールを無理して履いて、楽しい思い出よりも、足が痛くてつらい経験のほうが印象に残るのがすごく嫌だった。
「もう、こんな思い、たくさんだ!」
あるときに急に投げやりになり、その日を境に、大切なお小遣いで買ったマエアツをすべて捨てて、スニーカーばかり履くようになった。
するとどうだろう、足が痛くない。当たり前だ。靴底ぺったんこなのだから。じんじんと痛むつま先に意識が向かなくなった。なんと単純なことなのだろう。
等身大の背丈で見る空は確かに遠い。でも、痛みと引き換えにコンプレックスを隠しながら見るそれよりも、遥かに綺麗だった。
背が低くて良かったこともある。私はもともと、身体を動かすことが好きなタイプだ。
決まって続けていた競技こそないが、走るのが得意だった。
とは言っても、小学校低学年までは、順位で言えば最下位争いだった。
走るのが得意になったのは小学校高学年以降で、同級生たちが女性らしい身体つきになる中で、身長しかり、早い段階で第二次性徴がほぼカンストしていた私は、短距離の順位が相対的に上がった。思わぬ副産物。大人になってから足が速いことで得することなんてほぼないけど、それでも幼い頃はなんとなく嬉しかったのだ。
この背格好は、確かにかっこよくはないかもしれない。不便なこともそれなりにある。だけどこの身長でずっと生きてきたら処世術もそれなりに身につけてきていて、今では身長が低いことそのものによって困ることはあまりない。
「ちっちゃくてかわいいね」
そう言われてからかわれても、もう腹を立てることはない。
「そうなの、とっても素敵でしょ?」
そう切り返せる今の私を、私は結構気に入っている。
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