「わたしが好きだった人」。

このテーマを目にしたとき、「書きたい」と思った。「書かなきゃ」と思った。

◎          ◎

わたしには、ずっとずっと、すごく好きだった人がいた。
10年間、どうしても、好きだった人がいた。

痛くて、つらくて、好きって気持ちだけで、なにもない毎日が幸せで、でも痛くて、追いかけても届かなくて、手に入らなくて。私の人生を象徴するくらい、好きだったから、「わたしが好きだった人」という言葉をみたとき、これを書くために、これまで日々を過ごしてきたような気もした。

ずっとひとりで気持ちを抱えてきて、忘れられなくて、そうして過ごしてきたけど、今はちがう好きな人がいる。やっとできた好きな人と、穏やかな日々を送っていて、この人に会うためにわたしはこれまで、たくさんつらい思いをしてきたんだと本気で思っている。

それなのに、どうして、今でも夢に出てくるの。もう好きじゃないのかもわからないまま、確かめようもないまま、新しい好きな人との日々がはじまったから、どこかで綺麗に終わらせなきゃいけないと心のどこかでずっと思っていた。だから、夢に出てくるの?

◎          ◎

どこかでこの気持ちを打ち切る。成仏させる。その方法は、きっと、あなたのことを最初から最後までぜんぶ、書き残すことだと思った。あの頃のわたしは、あなたとの出来事、あなたで心を動かしたことぜんぶ、書き記していた。だから、あなたのことぜんぶ、抱えていたものぜんぶ、形にしてしっかりと残すことが、わたしが好きだった人の成仏の仕方なのかもしれない。

そう思っていたのに。
いざ、あなたのことを、書こうとしたら、なんにも言葉が出てこなかった。
綺麗に忘れ去って、もう夢に出てこないようにしなきゃいけないから、あの頃のあなたをぜんぶ思い出して、形にして残したかったのに。
あなたのこと、なにも書きたいことがないと気づいたとき、心が軽くなってしまった。書いていないのに、忘れられていた。

夢に出てくるのはたぶん、「わたしが好きだった人」という言葉をみて、あなたのことを書かなきゃと反射的に思ってしまうのと同じで、「あなたを好きだったわたし」を、ずっとずっと、心の中で宝物のように大切にしているからだ。大切にしていた自分だけの宝物を手放すことができなかったからだ。

◎          ◎

きっと、忘れることなんて、とっくにできていて、あなた自身への気持ちなんて、もう、どうでもいいことだった。わたし、あなたが好きだったわたしが、好きだったんだな。
いつか、あなたが好きだったわたしのことを書いてみよう。そうしたらきっと、もう夢には出てこなくなるだろう。

いまの、わたしの好きな人。あなたのときみたいに、心を大きく動かされることはないけれど、いろんな場面を生き抜かなきゃいけない日々の中で、私が心を大きく動かすとき、隣にいてほしいと思う。そんな人が、わたしの好きな人です。
あなたのこと、ちゃんと忘れているから、夢に出てきて大丈夫だよ。