人生でたった一度、夜通し電話をしたことがある。たまたま実家に帰省していたときだった。隣の部屋では母が寝ていて、声が聞こえて怒られないだろうかと、子どもの頃に戻ったようにどきどきした。深夜の静けさに包まれながら、布団の中でスマートフォンを握りしめていた。電話の相手は、小学生の頃の同級生。8年ぶりに再会した人で、当時、私が少し気になっていた人だった。

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私は中学から地元を離れて私立の学校に通い始めたため、小学校の友達と話す機会はほとんどなかった。だから、同級生と話すというだけで、もうその時間は、どこか夢のように特別だった。私たちは学年全体がとても仲が良くて、先生も「こんなに団結している学年はめったにない」と口にしていたほどだった。山に囲まれた小さな町。時折、猪や熊の目撃情報を知らせるプリントが配られるような、のどかな場所で、私たちは育った。

嘘やいじめといったややこしくてトゲトゲしたものとは無縁だった。子どもながらに空気を読み合うような関係性がそこにはあったし、誰かを排除するような雰囲気はなかった。気の強い妹や弟を持つ子が多かったからか、おおらかで、受け入れる力のある人も多かったように思う。

そんな穏やかな仲間たちの中で、私がひそかに好意を抱いていたのは、猫のような目元に、犬のような人懐っこさを持つ男の子だった。いつも青いダボっとしたパーカーを着ていて、サッカーが大好きで、周りからいじられるタイプ。でも、行事のときには自然とリーダーになっているような、芯のある人だった。

8年越しに話したその日も、彼の雰囲気は昔のままだった。私は懐かしさに胸をくすぐられるような気持ちで、つい「全然変わってないね」と笑った。彼も「変わったけど、芯は変わってないな」と言ってくれた。

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夜の長電話は、そんなふうに、オルゴールを巻くように静かに始まり、お互いの8年間を少しずつ語り合った。もちろん、変わった部分もあった。私は昔のような自由奔放で無邪気な女の子ではなくなっていた。思ったことをすぐ口に出すことは少なくなったし、話す前に一言一句を頭の中で何度も練る癖がついた。

周囲からは「しっかりしてるね」と言われることが増えたが、それは本当の私というより、私が必死に作り上げた「よく見える私」だった。いつのまにか、誰かに親しまれるより、少し距離を置かれて尊敬されるような存在になっていた。自分でも、それが寂しいということには薄々気づいていた。でも、それが自分にとっての「大人」になるということだと思っていた。

そんな私に、彼は電話の中で「達観してるな」と言った。苦笑いした私に続けて、彼は「でも、すげーわ」と言った。決して乱暴なわけではないけれど、ぶっきらぼうな言葉遣いだった。

私のまわりには、そんなふうに言葉を投げてくる人がいなかったから、その一言がとても新鮮だった。飾らない、真正面からの感想。彼の話し方には、懐かしい空気があった。少し荒っぽさはあるけれど、決して傷つけるようなものではなく、むしろ対等でいてくれているようで、好ましかった。

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私たちは遠慮のない話をたくさんした。子どもみたいにからかい合って、意地悪を言って、でも笑って。8年ぶりなのに、それが許される空気がそこにあった。

電話を切ったあと、私は不思議な心地よさに包まれていた。私たちは大人になった。いくら懐かしくても、彼が立派になっていても、あのときの気持ちがそのまま今に繋がるわけではない。

ただ、それでも、昔好きだった人が、素敵な大人になって、今も私とは交わらない彼の人生を歩んでいるのだと思うと、少し寂しい気もするけれど、それ以上に誇らしいような、一人ではないと勇気をもらえるような、不思議な力をもらえた気がした。