わたしは弱かった。自分は弱い人間だとずっと思ってきた。優柔不断で、ビビりで、小心者。人の輪に入っていく度胸も、人を影響するだけの力もない、ちっぽけな存在。クラスの端で本を読みふけるだけの毎日は大好きだったけど、ふがいなさを感じる時もあった。だからこそ、わたしの対極にいる「強い人」にどうしようもなく惹かれるたちだった。

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わたしの定義する「強い人」はたいてい、肉体的な強さは持ち合わせていない。持っているのは、わたしが尊敬してやまないような知識量や思慮深さ、そして自分の軸のぶれなさだ。どんな時でも自分を貫くしたたかさや頑固さと、状況に応じて違う考え方も受け入れつつ自分を失わない器の広さ、懐の深さ。

融通を利かせられない幼さを持っていたわたしが引き付けられたのは、そういった大人の余裕だった。

中学二年生を終えて、シドニーに引っ越したわたしが一番初めに通ったのは、公立の語学学校だった。様々な国から来た中学生、高校生の、まだ英語力に自信がない留学生たちが、現地校に移るために共に勉強する。ちょっと不思議で、でも平和で、国籍を越えてお互いを助け合う、あたたかな空間だった。最初に多様性が生み出すやさしさにふれたわたしは、迎え入れられたことに安堵した。緊張と未知への恐怖感にかちこちだった心が、少しほどけた。

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穏やかに始まったシドニーでの生活を、彼女はさらにきらめく光で満たしてくれた。Intensive English High Schoolの名の通り、英語力向上を至上命題に掲げるその学校で、わたしは一学期目に英語の教科を三つ受けることになった。三人の先生のうち二人はその学校の卒業生、つまり元留学生。そのうちの一人が、スペイン系の彼女だった。

赤く染めたカーリーヘアを高い位置でまとめ、大きな眼鏡と目元のほくろ、大ぶりのピアスが、彼女が纏う華やかな空気と甘ったるいココナッツ系の香水によく似合う。大柄で声が大きくて大雑把で、と彼女を表現するのに大という漢字はいくつあっても足りない。独特なジョークセンスと勢いのある笑顔でその場を明るく照らす、まさに太陽のような人だった。

初めての小テストでそこそこの成績を取ったわたしを、ウインクと共にほめてくれた。一時間目に授業があるときは、たいていコーヒーを片手に遅れてきた。使われていない机に腰掛けて、すらっと引き締まった、ジーンズに包まれた長い足を組んで授業をしていた。時に乱暴すぎる言葉の端々からも、英語に対する熱意と生徒への愛情が感じられた。何もかもが、日本でお世話になっていた「先生」という人種と違っていた。その鮮烈な一挙手一投足から、いつの間にか目が離せなくなっていった。

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大好きで、ずっと見ていたくて、彼女の授業を受けるためにわたしは学校に通った。それでも、彼女の授業を受けられたのは最初の二ヶ月だけだった。彼女のクラスから外れても、廊下ですれ違えばあの笑顔をあの香りとともに向けてくれた。休み時間には、わたしの面白くもない話をニコニコ聞いてくれた。あの気持ちが恋愛感情であったのかは、未だによくわからない。彼女がとうに結婚していて、わたしと大して変わらない年齢の娘がいることは知っていた。胸が苦しくなるくらい好きで好きで、でも同じくらい毎日が楽しかった。

どんなに愛おしい日々も、どんなに惜しんで過ごした時間も終わりが来る。一年足らずで現地校に移ることになったわたしは、怖くてたまらなかった。大好きな学校、大好きなクラスメートたち、大好きな先生方、何より彼女と離れたくなくて。新しい環境はこれほどあたたかくないと、うすうす感じていて。卒業を間近に控えたある昼休み、わたしは彼女に不安をこぼした。

「あなたが完璧でないことなんて知ってるわ。あなたがあなたでいれば、大丈夫よ」

肩から力が抜けた。ありのままのわたしを肯定する彼女の言葉は、わたしをちょっぴり強くする魔法として、あの甘ったるいココナッツの香りとともに、今でもわたしを励まし続けてくれる。