お風呂場は、毎日絶対に自分の裸と向き合う場所。私はお風呂から上がるとそのまま全身鏡で自分の裸を確認する。お風呂の中で直接見る自分の体と、鏡で見る体は少し違う。

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世の中に、自分の体に自信を持っている人はどれくらいいるだろう。自分の裸を好きな人はどれくらいいるだろう。
特に日本は「痩せている方が美しい」文化が根強いから、「痩せていない」もしくは「痩せていない部分がある」だけで、自信をなくしてしまう人も多いだろう。
上にも書いたが、実際に目で見る体は、鏡に映る姿よりも太っているように感じることが多い気がする。それは単に鏡による物理的なものだったり、視点が上になることによる錯覚だったり、理由は単純なことがほとんどだが、それを冷静に考えて気にしないでいられるほどオンナノコは楽観的ではない。特に「アラサー」を意識し始めるとそれは加速し、「なんか下腹が出てきた気がする」「なんか二の腕が太い気がする」としか思えなくなる。

こんな感じで、自分の体を見て幸せな気持ちになることなどほとんど不可能に近いことなのだが、それでもやはりお風呂場で自分の裸と向き合う時間は大切だと思う。
乳がんも、お風呂のときに違和感から発見されることが多いと聞く。見ること、触ること、撫でること、そのような日常の行動が自分を大切にすることに繋がるのだ。

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世界で活躍するようなモデルさんや女優さんが「痩せていれば美しいというわけではない」「健康であることが1番」「ありのままの自分の姿を大切に」などと言っているのを聞いたことが何度かある。本当にそうだと思うし、みんながそう思える社会になることを切に願う。

私は人生で1度「痩せすぎていて恥ずかしい」という時期があった。ストレスからごはんがのどを通らなくなり、みるみる痩せて皮と骨だけのような体になった。

確かに痩せていたが、確実に魅力的ではなかった。親に「気持ち悪いからスキニーは履かないで」と言われ、体形を隠せるようなダボダボの服を着た。そう、太っていても痩せていてもこうなのだ。

そんな痩せている私を「映える」と言った友人がいた。「映える」とは何だ。

その友人はやせ細った私の体を心からうらやましがった。ちなみにその友人は美人だ。太っているわけでもない。肌も髪もきれいで、私からするとそれ以上何を望むのか、と思うほどなのに、彼女は私の体のようになりたいと言った。

彼女には何の悪気もなかっただろうし、むしろ褒めてくれたともいえるのかもしれない。私は返す言葉が見つけられず、はははと愛想笑いをした。

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ここ数年、体重計に乗るのをやめた。体重などどうでもいいと思うようになった。太らないために好きなものを全然食べられないなら、喜んで太ってやる。でも体調不良は嫌なので、健康でいられるように意識はする。

あと、もしかしたら今後ドレスを着る機会があるかもしれないので(まだ全く予定はないが)ある程度の体形管理は心がけようとも思う。それは、自分を好きでいるための努力だ。