2時半まで続いたゲーム。翌朝は、楽しかった昨日と地続き

人見知りで、人と話すのが苦手。誰かと夜通し過ごす経験なんて、ほとんどしたことがない。そんな、自分の中にある前提条件のようなものが崩れていく時間を過ごしたことが、私にはあります。
昨年(2024年)の1月、会社を辞める、少し前。
「人前で話すことが苦手」「テキストの方が想いを伝えやすい」という自分の性質に、私は打ちのめされていました。新規営業をどんどんかけていかなければならない仕事をしていたのに、お客様と信頼関係を築くどころか、相手の態度に怯えたり、電話口で頭が真っ白になったり。仕事への自信だけでなく、「人と関わること」そのものに対して、私は自信を失っていました。
そんな折に、20代向けの泊まりがけのイベントに参加しました。たまたま知り合った友人に誘われて参加したものの、他の参加者のことは、誰一人知りません。見知らぬ人だらけの空間に、転校してきたばかりの小学生のように心細くなりました。
でも、用意されていた数々のアクティビティのおかげで、すぐに、他の参加者たちと打ち解けていきました。たとえ、何かのグループプログラムで一緒にならなくても「まだ今日、話してないよね」「初めましてだよね」というのを切り口に会話が始まるほど、アットホームなイベントだったのです。
その夜。イベントで用意されていたプログラムは終わり、自由時間がやってきました。私はパーティーゲーム(カードゲーム)をしている輪に加わりました。初めてのゲーム、今日初めて話した子、まだ一度も話せていない子。人見知りの私には「怖い」はずの状況でしたが、ゲームの楽しさと仲間たちの面白さに、すぐに私ははまっていきました。
真夜中になる頃には、昨日のこの時間にはお互いの存在すら知らなかった人たちと、まるで昔からの友だちのように笑い合っている自分がいました。
何となく、人の輪に入ることができないのが私の常でした。でも、日をまたいでも続く遊びは、見知らぬ、そして異なるバックグラウンドを持つ初対面の人たちを、1つにしてくれたのです。
思えば、学生時代に、こんな風に誰かと夜を過ごしたことがありませんでした。普通は、飲み会や合宿で誰かとオールをするなんて、学生時代にはよくある話かもしれません。でも、私は違いました。
そもそも、学生時代の半分はコロナ禍。それに加えて持病と付き合っていたこともあり、誰かと出かけることや、夜遅くまで出歩くことは、まずなかったのです。
大学のクラスメイトや、同じサークルの人たちの間に流れる、親密な空気。私が入ることのできない輪。それらが生まれていただろう夜の時間は、私とは無縁のものでした。それを経て訪れる朝も。けれど、今は違いました。
まるで、中休みや放課後に遊ぶ子どものように、大人たちが本気でゲームに興じるのです。しかも、授業の鐘も、門限もありません。なかなかクリアできない自分たちのセンスに大笑いしながら、クリアするまで私たちは遊び続けました。
ようやくゲームが一段落して時計を見ると、なんと2時半。その後、全員に眠気と疲れがやってきて、ゲームの会はバラバラとお開きになりました。でも、それで終わりではありません。翌朝は、楽しかった昨日と地続きなのです。
次の日の朝、昨日一緒に遊んでいた仲間たちとは、ごく自然におはようと言い合い、「昨日は楽しかったね」と笑い合いました。高校時代の同級生と、クラスで起きた珍事件を大人になってから振り返るような心の繋がりがそこにはありました。
その時に、思ったのです。人と、もっと気軽に繋がっていい。気軽に人と繋がることが私にもできる、と。
人と繋がる夜を経験しないまま社会人になった私は、どこか他人との距離を感じながら過ごしていました。"営業"という形で人と繋がることにも違和感やハードルを感じ、人と繋がることそのものを諦めかけていたのです。
でも、夜中を過ぎても続いた楽しい時間が、そんな私の心を変えてくれました。そうして迎えた新しい朝は、1月にもかかわらずとてもあたたかいものでした。
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