私が彼と出会ったのは3年前の夏、むわっとするような暑さが漂う上海にて。

大学2年の夏休みに、上海の大学に10日間短期留学をしたときのことだった。
アジア各国の大学から学生たちが参加するプログラムで、私は参加者の一人、彼は開催校の学生ボランティアの一人だった。

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留学なんて名ばかりで、実際はほとんど遊んでばかりだった。午前中に詰め込み中国語講座と上海の歴史に関するレクチャーを聞いて、午後は観光か自由時間。土日はバスで遠出して一日観光。

空いた時間はとにかく遊び呆けていた。カラオケで盛り上がったり、クラブで踊り狂ったり、バスケしたり、ホテルの部屋に集まって深夜までゲームしたり。
退屈なレクチャーの時間を除けば、ずっと誰かと笑い合ってはしゃいだ10日間だった。
プログラムの参加者もボランティアを含めて20人程度と少数だったことも相まって、仲良くなるのに時間はかからなかった。

彼は、はしゃいでばかりのグループの中では少し目立ってしまうような真面目なタイプだった。みんなと一緒に騒ぎはするものの、受入側の立場としてあらゆる手配や確認作業を抜かりなく行っていく。

集団の中にいるときに、私もついつい足りないところだったり、遅れている部分に目がいってしまうタイプだから、「楽しい方」というより「裏方」に立つ彼に私は親近感を抱いていた。

彼が企画した料理イベントの手伝いを、自分から手を挙げて一緒にスーパーに行った日もあった。好奇心旺盛な私が「あれは何?」「これは何?」と目に入るものを手当たり次第に聞いても、彼は迷惑がることなくむしろ嬉しそうに一つひとつ丁寧に教えてくれた。すぐに終わりそうな買い物も、いちいち立ち止まる私と、いちいち丁寧に予備知識までつけて教えてくれる彼とでは3時間もかかってしまった。

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飛ぶようにすぎていった10日間だった。
そして出発の日の朝。
ホテルの部屋で荷造りをしていると、彼からメッセージが届いた。
「ちょっとしたプレゼントを渡したい。部屋に行ってもいい?」
ルームメイトに一言伝え、彼にOKの返信をした。

程なくして彼が訪ねてきた。
ルームメイトには地下鉄のプリペイドカードを、私にはケースに入った大学のピンバッチを渡し、彼はあっさりと帰っていった。
なんだ。これだけか。
わざわざメッセージをよこして来るからと、ちょっと期待してしまった自分がいた。

あるわけないか。
心の中でひとり、肩をすくめた。
余計な期待も、夏のせいだよな。
浮ついた気持ちも思い出も、全てスーツケースに詰め込んで、私は空港へ向かった。

日本に帰ってきて、旅の余韻に浸りながら自室で荷解きをしていた時のこと。
彼にもらったピンバッチが目に入った。
手に取って、愛おしそうに眺めた。
大学名が入ったこのピンバッチには昨日までの日々の眩さが詰まっている。

何気なくピンバッチをケースから外してみた。
驚いたことに、ピンバッチの土台とケースの間に折り畳まれたノートの切れ端が挟まっていた。
恐るおそるその紙を開いてみる。

“Don’t forget your friend, name is Max”

そう走り書きされていた。
友達、か。
斜めになった文字が綴る言葉を噛み締める。
目を閉じれば思い出せる、いくつもの時間は、今は瞼の裏にしかない。
甘酸っぱくて、切なくて。
どうしようもない感情を向ける先がわからないから、とりあえず外に出た。
涼しい風が頬をなでた。まぎれもなく日本の夏の夜だ。
今日の朝まで、別の国にいたんだな…。
夜空を眺めているとどこまでも続く星空の中に、上海にいた時の感覚は吸い込まれて消えていってしまいそうだった。

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もう二度とは来ない夏。
また会おうねと言い合ったあの日から、半年後に世界はパンデミックに襲われた。
あの摩天楼の輝きに再び触れる日はいったい何年後になるのだろうか。

Instagramのやりとりも無くなって、最近は彼の投稿がフィードに浮上することもない。
彼は今、どこで何をしているのだろうか。